フーコーの二つの文章から

以前に書いたこのエントリーで、フーコーの「汚辱に塗れた人々の生」(丹生谷貴志訳)という文章について書くといったままになっていた。
気になるので、少し紹介しながら、思ったことを書いてみる。
じつはぼくは、フーコーの書いたものはほとんど読んだことがないので、書いてる内容はあてずっぽうである。


18世紀ヨーロッパの、「汚辱に塗れた」無名の人たちに関する公文書の断片的な記述を集めたという本の序文として書かれたこのエッセイのなかで、フーコーはこう書いている。

私は、他のどれよりもよく現実に忠実であるような、その再現的価値故に取っておくに値する文書ではなく、何よりも、その文書が語る現実の中で或る役割を果たし、逆に、記述が不正確だろうと誇張されていようと偽善的であろうと、現実に貫かれているテクストを捜そうとした。それ自身が、その一部となっている現実の断片を引き連れているようなディスクールの断章を捜そうとした。読者がここに読まれるだろうものは、ポートレートの束ではない。それらは罠であり、武器であり、叫びであり、態度表明であり、策略であり、陰謀なのであり言葉はその道具となっている。(p208)


「現実に貫かれているテクスト」というのは、とても強い表現だと思う。
実際、このフーコーのエッセイのなかに、それに見合うような強さをもった一節がちりばめられてもいることは、翻訳をとおしてもうかがわれる。
たとえば、

何故、この生を、それらが自分自身について語る場所において聞き取ろうとはしないのか?(p210)

彼らは、それによって人が彼らをうちひしごうとしたもの以外の者となることはない。それ以上でも以下でもないのだ。これが厳密な意味での汚辱であり、いかがわしい醜聞やひそかな賛嘆すら交えられることなく、如何なる類の栄光とも妥協することのない汚辱である。(p214〜215)

このエッセイの最後近くでは、『《汚辱の生》を語ることを強いる装置』としての「文学」がもった両義性について述べられているが、ここでのフーコーは、排除された歴史のなかの無名の人々の存在の強度を、たとえば「文学」(美学化)のような装置によって捕捉することなく、現在のなかによみがえらせるという、不可能と思われるような情熱にとりつかれているみたいに思える。
それは、ニュートラルな位置を確保しようとする態度ではなく、過剰なもの、権力に侵されて悲鳴をあげているような生を、その過剰さのままに受け取り引き継ごうとする態度だ。
言説や知のあり方の分析によって、自分自身のなかにある権力性を解剖することをとおして、この権力によって引き裂かれる無名の生の具体性に、フーコーは自分の身体を接続させようとしたのだ。


この奇妙な情熱は、この本の最初に収められている長い講演録「真理と裁判形態」(西谷修訳)の、とくにはじめの章を読んでもうかがえる。

しかし、この言説という事象を、もはや言語学的局面においてだけでなく、ある意味では――ここで私は英米の人びとの研究に触発されて言うのですが――ゲームとして、作用と反作用の、問いと答えの、支配と逃走ないしは闘争の、戦略的なゲームとして考える時期に来ています。(p012)


この部分などは、先のエッセイの一節に示された「言説」についての考え方と、明確に結びついているといえるだろうが、それだけでなく、ニーチェを引いて「認識」について語った次の一節を読むと、フーコーが意識していたものが、さらによく分かる。

(前略)認識が取り組まなければならないのは、秩序もなく、繋がりもなく、形式もなく、美もなく、叡智もなく、調和もなく、法則もない一世界なのだ。認識が相手にするのはそういうものなのだ。そこに住まう認識には、どんな権利からにせよ、この世界を認識するすべはない。自然にとって認識されるというのは自然ではない。したがって本能と認識の間には、連続性があるのではなく、取っ組み合いと支配と従属と代償の関係が見出されるのであり、同様にして、認識と認識される諸事象の間には、いかなる自然な連続の関係もない。あるのはただ暴力的関係、支配と、権力と、侵害の関係だけである。認識は、認識すべきものへの侵害でしかありえず、知覚とか、認知とか、あれとこれとの同一化などといったものではない。(p023)


ここで考えられているのは、広義の植民地主義のことであろう。
フーコーが、「主体」概念の歴史性をいうとき、それは知(分析)の「主体」としてのフーコー自身の何か、あえていえば「他者とのつながり」とか「欲望」といったものの解放ということとつながっていたのではないか。
彼の思想は、認識によって侵害され、暴力を受けるものの側にあるべき自分自身の身体との関係をつかみとろうとする営為として、とらえられると思う。