克服について

横塚晃一著『母よ! 殺すな』の感想の続き。
承前


この本を読むことは、ぼくにはたいへんに苦しいところがある。
その理由は、たとえば横塚がこれらの文において克服すべき課題として書いている「自己喪失」ということが、自分にはたいへんよく分かることであり、そして自分はそれを克服できていないことを痛感しているからである。
以下のような横塚の言葉は、そういう今のぼくの心理を打つように響いてくるのである。

我々が発言する場合考えなければならないことは、親兄弟から別れ一人ぼっちになった自分を想定した時、あるいは夕暮の雑踏の中に放り出された自分(今の障害のままの)を発見した時、いかに叫びいかに行動すべきかということなのである。そして一人ぼっちになった自分、ありのままの姿の自己を捕らえた時、自ずから己とは何か、脳性マヒ者とは何か、更に人間とは何かということに突き当たるであろう。(p122〜3)

しかしまた、自分の立場とはかけはなれ、あるいは家族、社会などから押しつけられた意見をそのまま述べる人もみられ、観客席から映画でも見ているような態度も見られました。この自己喪失型というのは脳性マヒ者の特徴であり、これから取り組まねばならない課題だと思います。(p124)


「自己喪失」を乗り越えて、自らの「ありのままの姿」を捕らえるところから、社会全体、人間そのものに関わる根本的な問いかけを放っていこうとする横塚の真摯さを前にして、ぼくには発するべき一言もない。


だが同時に、見落としてはならないことが、ここにもう一点あるように思う。
それは、ある人にとって自己喪失を「克服する」とは如何なることか、という点である。
それは、いわば克服の戦いのなかに自己喪失を携えていくこと、自己を喪失していたり、それを乗り越えようと奮闘したりする自分を、いずれも切捨てたり抑圧したりすることなく、認め続けるということではないかと思う。
上に引用した一節を含む文章は、それぞれ70年、71年に書かれたものだが、これより後の72年に書かれた「カメラを持って」というエッセイは、横塚がこうした「肯定のための葛藤」を決して手放さない人であったことを示しているように思われ、特別な読後感を残すものである。
この文章は、映画『さようならCP』の製作にあたって、みずから写真を撮ることによって障害者としての自分の世界を表現することを思いつき、それを実践した横塚の体験を述べたものである。
そう考えて実際に撮ってみた写真は、当人の予想とはまったく異なるものになっていた。
そこに映し出された風景は、全て遠景になってしまっていたのである。

(前略)そういえば、私の今まで見てきた風景は全て遠景だったのではあるまいか。
 己の肉体の存在とは直接かかわりなく、まわりの状況、風景が移り動いていたのではあるまいか。(中略)つまり自己喪失であったと思われる。(p60)

私は焦った。いくらできあがった写真を見ても本当にこれはという写真はみあたらないのである。私は今まで何を狙っていたのだろう。私の世界がある筈だと思っていたその世界とは何だったのか。写真を撮れば今まで持っていた自分の世界があらわれると思っていたことは実は幻想だったのであるまいか。(中略)写真を撮ろうと初めに考えたこと、つまりこれが私の世界だといえるものがあると思ったことはそのこと自体観念であり、今までふりきろうとしてきた健全者幻想と一寸も違わなかったのではあるまいか。私は映画の試写会を終わった今でも自問をつづけているのである。(p61〜62)


ぼくは、この文章は、横塚が彼自身の「健全者幻想」との戦いを貫いた人であったということ、言い換えれば自分のなかに「自己喪失」が常に存在し続けるという事実を決して否認できない、ある意味の「弱さ」を持ち続けられたしなかった(できなかった)人であったということを、最も如実に示している文章ではないかと思う。
自分のなかに弱い部分を認めながら闘うということは苦痛だが、それ以外に闘いを貫徹する道はあるまい。
だからこそ彼にとっては、自己喪失の克服という課題が「終わる」ということは、ありえないことであった。
逡巡や迷いを振り切れない自分を肯定する見出し続けることによって、横塚は現実と格闘する力を最後まで保持しえたのだろうと思う。