NGOや運動団体のこと

『今日、考えたこと』さんで、「国家・社会変革・NGO」という本の一節が紹介されていた。

http://tu-ta.at.webry.info/200701/article_17.html

ネオリベラリズムがもたらした不平等格差社会は、NGOの世界においても激烈に進行しているのである。


ぼくは、NGOで働いた経験とかはないけど、ここに書かれているような運営面の二極化みたいなこと、つまり「企業的手法」の導入に傾いていくところと、『慎ましい生活条件さえ保障されないまま、身を粉にして活動に献身する』人たちの集団という感じのところとに分かれていくという傾向があるというのは、少し知っている。
というか、現実には、「企業的手法」を導入してるのに、スタッフの多くは「慎ましい生活条件さえ保障されない」というNGOも多くあるのだと思うが。実際、普通の企業の労働者でも、生活や安定を保障されないということが普通になってきてるのだから、NGOの企業化なんて簡単にうまく行くはずもないだろう、とも考える。
NGOのなかにも、現在支配的な市場経済のシステムを、自分たちの活動は補完すると考えるのか、それとも基本的に否定する方向で考えるのか、考え方の違いが色々あるだろう。もちろん、ひとつの団体のなかにも、色んな考えの人がいる。
そもそもぼくにはNGOと運動団体の違いがよく分からないのだが、たぶんここ何年かその区別が曖昧であった時期が続いてきて、そのなかで溜まってきた矛盾が吹き出す段階に来ているようにも思える。


「企業化の弊害」ということと、「組織の弊害」ということとは、分けて考えるべきかもしれない。
後者はとくに、権力構造とかの問題で、それでいうと「企業化」みたいな意識をもっていない手弁当的な団体だからといって、権力性が薄いということはないだろう。むしろそういうところから生じる変な権力性、義理人情とか貸し借りみたいなしがらみから脱するために、経営や経理をきちんとしてとか、無駄を省いてとかいう発想をすることは、好ましいことに思える。
「下からの構造改革」なら進められてよい。もちろん、その方法が「企業化」でなくてもいいが、「企業化」に近い発想が必要な場合もあるかもしれない。
ところで、そういう改革が必要な組織、NGOや団体はどういうものかというと、規模の大小には関係なさそうだということは、とりあえず言える。
大きな組織でも、小さな集団でも、中心では変な権力が発生してしまって、一人一人にひずみが生じるということは、同様にあるものだと思う。それに対する個々の葛藤や抵抗や努力は、あらゆる場所に見られるはずだ。
大事なのは、その人が所属している組織全体の思想や体質ではなくて、あくまで個々人の感じ方や考え方、関係を作っていこうとする姿勢のようなものだ。
ぼくのような組織・団体の外にいる人間の方が、かえって人を所属する組織や枠組みでとらえる発想にとらわれがちなものである。


そういうことを考えてたら、上記のサイトに、以下の記事がアップされてました。

http://tu-ta.at.webry.info/200701/article_20.html