公正さという欺瞞

大阪府橋下知事の指示によって検討・提出されたいわゆるPT案というものだが、(NHKほかの報道によると)もっとも一般の府民からの反対が強いと言われているのが、警察官500人を削減するというものだそうである。


たとえば特定の施設を廃止するとかいうことだと、ほとんどの人は「わが身のこと」ではないと思うから、「削減していかないと府が財政破綻して、大変なことになりますよ」と説得され(脅かされ)たり、「公務員は給料をもらいすぎだし、守られすぎだよな」という不満が漠然とあったり、「よくテレビで見る橋下さんは、若いのに頑張ってるよなあ」という気軽な感覚があったりすると、それらが入り交じって、「みんなで痛みを分け合うことはやむをえない」という「改革支持」の考えに同調し、「橋下改革を応援する」という気持ちになるのだろうが、自分の身に関わるかもしれない「治安」をめぐることとなると、ちょっと話が違うということになるのであろうか。
これは少し前の記事だが。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080415-00000921-san-pol

ただ、警察官については、泉南市の男性(80)のように、府庁職員のなかでも別格としてとらえた意見も少なくなかった。《警察官を増員してこそ治安が守られるはずなのに、橋下知事は削減するという。住民の生命、財産を守るための人件費を惜しんではならない》


 冒頭の女子学生も警察官の人数削減にふれ《なかには、不祥事を起こしたり、適当な仕事をしている人もいるかもしれませんが、ほとんどの警察官が街のために働いています。どうして橋下知事は警察官にこんなに厳しいのでしょうか》とつづっていた。 


まあ、こういう意見の方が多数派、ということらしいのである。
これは、産経の論調がそうだから、ということだけじゃなく、世間一般でそうらしいのだ。
テレビの街頭インタビューでは、「警察官は足りないぐらいだ」と言って怒ってるおじいさんも居た。


それで、当の橋下知事だが、それでも警察官の削減ということはやるつもりらしく、「警察官の方々にも、痛みを分け合っていただく」という風なことを言っていた。


警察官の数を減らすことが、治安の悪化につながるかどうかは分からない。
知事やPTチームも、たぶん同じようなことを言うであろう。
この知事は、行政について徹頭徹尾経営的な考えしかもっておらず、医療費だろうが警察官の人件費だろうが、財界の利益に関わる事業だろうが、すべて一律に削減して財政を立て直すことが自分の仕事だ、と思ってるのだろう。
自分のやってることは正しいことであり、そのやり方はそれに合った公正なものであると、この人は本気で考えてるんだと思う。
問題は、こうした一種の「公平さ」をどうとらえるべきか、ということだ。


ぼくは、こうした「公平さ」は、意図を持った選択、たとえば弱者の権利や生存・力の維持に関わるものは削って、治安の強化や財界の利益につながるものは残す、というような発想よりも、悪いものではないかと思う。
そして、こうした「公平さ」が、改革を進めるという自己(自分たち)の善意への信頼をともなって、社会を支配するルールのようになってしまう状況を恐れる。
その理由は、この「善意への信頼」や「公平さ」といったものの底にあるのが、自分たちが他人の命と生活を犠牲にして、「安全」や「安定」を追い求めているという事実への否認に違いないと思うからだ。


すでにPTチームは、(治安を含めた)「セーフティネットも聖域ではない」と明言しており、セーフティネットは守ると言っていた知事の口約束は、早くも反故にされてるわけである。
そして実際、知事が進めようとしている改革は、どんなに「公平さ」を(主観的には)追求・標榜しようとも、現在すでに存在していて、その上に多くの「一般市民」の生活の「安定」と「安全」が築かれているような社会の不平等に対する否認、その不平等のゆえに命を落としたり深く傷ついたりする人たちへの、われわれ一般市民(府民)の加害的な関与という事実の否認に基づいているからには、それは偽物の「公平さ」である他はないのである。
橋下改革とは、そういうわれわれ一般市民の、加害性および責任を否認したいという願望によって支持されているものであり、知事自身の「正義」も、無論そういう性質をもったものだ。
われわれの、他者への加害性や責任を否認し忌避したいという感情が(そしてまた、その心理的な表現としてのセキュリティー意識が)、こうした政治家の主張と「改革」の遂行を支えるのである。



といっても、やや抽象的に聞こえるだろうから、大阪の「現実」を示しているだろうとぼくが感じたひとつの数字を、下にあげておこう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080424-00000114-mai-soci

厚生労働省は24日、5年ごとに調べている全国市区町村別の平均寿命(05年現在)を公表した。1位は男性が横浜市青葉区(81.7歳)、女性が沖縄県北中城(きたなかぐすく)村(89.3歳)、最下位は男性が大阪市西成区(73.1歳)、女性が東京都奥多摩町(82.8歳)だった。


いわゆる「あいりん地区」がある西成区の男性の平均寿命は、都市部のなかでは突出して短い(西成区は、女性についても全国4位の短さである)。
貧困や社会保障の問題が、この数字の背景にあることは明らかだろう。
多くの府民(一般市民)が直視することを拒んでいるのは、こうした社会の現状なのである。


これに限らず、経済的に、あるいは身体的になど、逼迫した状況にある人が、そうでない人たちと「公平に」痛みを分かち合うことを強いられればどうなるのか。多くの場合、それは死でしかないだろう。
橋下府政・改革の支持者たちは、自分たちの生活の安全と安定のために、そうした人たちに死を要請しているのだ。
改革の「公平さ」は、この事実の重みのゆえに、その罪悪感を糊塗する目的で、なおいっそう求められ強調されるのだろう。