子安宣邦「近世儒家における人性と知」

先日古本屋で買ったこの本に入っている、表題の論文を読んでみた。

講座 日本思想 (2)

講座 日本思想 (2)




知らなかったことばかりで、たいへん面白かった。
朱子の「本然の性」と「気質の性」の区分というのは、どこかスピノザの「一義性」の議論を思い出させるけど、違うのかなあ?


仁斎や徂徠、素行ら日本の近世の儒者が、朱子の思想のどういう部分を斥けて自分たちの(彼等なりには実践的な)思想を形成し、その結果どういう思想・言説の空間が形成されることになったかが書いてある。
具体的には「性(人性)」という概念が、その形而上的性格と普遍性とを脱色されて、経験主義的な概念へと変容させられていく過程が考察される。
それは日常の人間関係における道徳的実践による善の実現を志向する「脱形而上学的」で経験主義的な人間把握の態度であったといえるが、逆に朱子の思想が有していたような、みずからのうちにあるなんらかの普遍的基盤から人間社会の現実をとらえていこうとする構築的な態度の軽視を、結果として生じさせるものでもあった。

そのことはすでに見たように、現実の生において基本的に人間をとらえることであり、経験的存在としての人間のあり方を注視することであり、そしてそのような人間把握とともに知は経験的性格をもってくることでもある。このような知の成立は、一理あるいは本然の性を定立するような思惟を斥けた結果であり、もしそれを誤解というのであれば、そうした思惟を誤解のうちに許容しえなかった結果である。彼らが許容しえなかった思惟とは、あらためていえば、みずからのうちに絶対的な基底を、あるいは普遍的基盤をとらえる思惟である。(p201)


このような知のあり方、思考の態度と相即して、あるいはそこから発して、経典の論述そのものの思想史(論争)的、イデオロギー的理解、つまり一種の相対化が生じ、道徳をめぐる構築的な思想の営みへの軽視、ないしは揶揄のような態度が生じてくる。
こうした観点から、いわゆる懐徳堂系の思想家たちが、軒並み批判の対象となっている。
とりわけ、富永仲基を批判した最後の部分に、筆者の見方がよく集約されていると思う。

善をなしさえすればよいという、そのあたりまえさによって、善をなしうる根拠を性に問い、天と性と人の道徳的行為との必然的連関を問う、儒家思想の根幹をなす性をめぐる議論は、性説の展開過程のうちに相対化され、しかも空言であるとされるのである。仲基における誠の道というあたりまえの日常道徳の主張と、道徳成立の根拠への問いの空言視、さらに経典や教説のイデオロギー性の批判と、それら教説の思想史的な展開過程の把握とは相関的に一つの知のあり方を構成しているのである。(p210)


この本が出た83年という年次を考えると、江戸時代の注釈学的・反朱子学的な思想のあり方に対して、ここまで明確に批判的な立場をとっていることに驚かされる。
筆者の面目躍如といったところであろう。


ただ、筆者にとっては自明なことであろうが、読む者が留意するべき点は、「脱形而上学」を自ら実践した人々(仁斎、徂徠、素行ら)の思想と、「脱形而上学」を自明の前提とした江戸後期の多くの思想家たちのそれとを、同様のものとしてとらえるべきではないということだろう。
本論のなかでは、とりわけ当時の「危険思想家」だった素行(山鹿素行)の思想の紹介が興味深いのだが、彼等の「脱形而上学的」な営為は、形而上学との対決であり、それ自体必死な「構築」であるほかはなかったのだと思う。
構築が不要であることを自明な前提として受けとり、ただたんに構築を軽蔑した人たちとは、その思想の内実というものが違うはずだ。


これはもちろん、「形而上学」の側(大陸)の人たちについても、同じことがあてはまるはずである。