フーコー「啓蒙とは何か」

相変わらず、内外で書くべき話題が山のようにあるのだが、今回もあまり緊急性のないことを書かせてもらう。


ミシェル・フーコーは、20世紀後半のフランスを代表する思想家で、たんに哲学者というより社会学歴史学の分野にまたがる大変大きな仕事をした人であり、また監獄や精神病院などの施設をめぐる社会運動に尽力した人としても知られている。今の日本でも、たいへん評価の高い人である。
僕が子どもの頃、1970年代前半だったと思うが、彼の最も有名な著書『言葉と物』が日本でも翻訳出版されて話題となり、この本がフランスで出された当初(1966年)フランスでは店頭に山積みにされて「パンのように売れた」というようなトピックが活字になっていたものだ。
当時はまだ「ニューアカ」というような言葉で言われた、日本のいわゆる「現代思想」のブームが起きる以前だったが、すでにこうした難解で分厚い西洋の思想書を多くの人が競って買ったり読んだりするという現象の兆しのようなものはあったわけである。


僕は今から何十年か前にこの『言葉と物』の翻訳を人並みに買って分からぬながらも読み、関連して他の著作も幾つか読んでみたものの、そのなかの『知の考古学』(中村雄二郎訳)という本の内容がチンプンカンプンだったことがきっかけで、フーコーの本はあまり読まなくなった。ただ少しあとになって、最晩年の「性」や「自己」をめぐる三部作的な比較的薄い本、内容も驚くほど簡潔で透明な感じがして読みやすいものだが、それらは読んで何となく分かったような気になった。
その後、ちくま学芸文庫から『フーコー・コレクション』として入手しやすい形で、単行本化されていない論考や講演の記録がまとめられて何冊か発売されるようになったが、主要著作をあまり読んでいないという気後れや、苦手意識のようなものがあり、6、7冊出てるうちの2冊しか読んでいない。
このところ、必要があってそれらを読み返してるのだが、内容もあまり理解できてなかったようである。
ただ、現在の新自由主義に覆われた世界の状況、またフーコーの思想自体の影響(いいものとばかりは思えないが)も受けて構成されている日本社会の現状を考える上では、やはり非常に示唆に富んだ、必読の思想家だという感想を持った。


さて、前置きが長くなったが、ここではその『フーコー・コレクション6 生政治・統治』という巻に収められている「啓蒙とは何か」と題された文章(1984年発表 石田英敬訳)の一節について考えて見たい。
この文章はタイトルから分かるように、哲学者カントの有名なエッセイ「啓蒙とは何か」を題材として書かれた非常に興味深い内容の論考だが、その終わりの方に、次のようなことが書いてある。
これは、フーコーが現代を生きる「私たち自身」にとって重要な「哲学的エートス」とか「限界的態度」と呼んでいるところのものに関して言われていることである。

このことは、次のような結果をもたらす。すなわち、<批判>は、普遍的な価値を持つ形式的構造を求めて実行されるものではもはやなく、私たちが行うこと、考えること、言うことの主体として、私たちを構成し、またそのような主体として認めるように私たちがなった由来である諸々の出来事をめぐって行われる歴史的調査として批判は実行される、というものだ。この意味において、この批判は、超越論的ではなく、形而上学を可能にするという目的を持つことがないのだ。この批判は、その目的性においては、<系譜学的>であり、その方法においては、<考古学的>なものなのだ。(p386)


フーコーが言っていることを繰り返すと、『私たちが行うこと、考えること、言うことの主体として、私たちを構成し、またそのような主体として認めるように私たちがなった由来である諸々の出来事をめぐって行われる歴史的調査』としてなされるような批判は、その目的性においては<系譜学的>と呼ばれ、その方法においては<考古学的>と呼ばれる、というのである。
どうにも苦手意識のある<考古学的>の方は置いておいて、目的性において<系譜学的>と呼ばれる、とはどういうことであろうか?
それは、書いたり考えたり、感じたり発言したり行動したりしている私たちが、なぜ今このようなあり方でそうするに至っているのかという経緯を、よく調べて確かめてみる、ということであろう。
ここで、「主体として」とフーコーは言っているのだが、僕自身は自分を「主体」であるとはあまり自覚できていないのであるが、ただ自覚できていないというだけのことかも知れず、それなら、「なぜ自覚できていないような仕方で主体であることになっているのか?」と問わなければ(調査しなければ)ならないだろう。
すぐ後のところで、フーコーはさらにこう書いている。

この批判が<系譜学的>であるというのは、私たちに行いえない、あるいは、認識しえないことを、私たちの存在の形式から出発して演繹するのでなく、私たちが今のように在り、今のように行い、今のように考えることが出来る可能性を、私たちが今在るように存在することになった偶然性から出発して、抽出することになるからだ。(同上)


これはつまり、自分(「私たち」、しかし単数なのか複数なのか?)が今こうあることの理由を、「存在の形式」とか「形式的構造」とかフーコーが呼ぶものの中にではなく、偶然性のうちに見出す、ということであるらしい。
「存在の形式」とか「形式的構造」という表現の含意がよく分からないのだが、「構造によって決定されている」と考えてしまうような思考のあり方、という意味かもしれない。
そのように決定されているわけではなくて、あるいは必然的にこうなるべくしてなったということではなくて、偶然の結果として私は今ここにこのように在る、そういう風に考えるようにするために行う行為が、<系譜学的>なものとしての「批判」だ、とフーコーは言っているみたいである。


ところでこの前後の文章では、こうした「批判」のあり方が、超越論的ということや、形而上学に反対するようなものである、という意味のことが書かれている。
超越論的、ということがまた僕にはよく分からない語なのだが、そして形而上学ということもそれほど分かっているわけではないが、どうもフーコーにとって形而上学の問題は、70年代頃からいよいよ明らかになってきた社会主義圏の全体主義的な体制の弊害という問題につながっているようである。
それは、特に西側の知識人にとっては、この世界の悪から逃れるために何かを新たに作り上げても、その悪の構造から逃れられるわけではない、という深刻な実感に結びついていたのだろうと思う。おそらくそこから、次のようなフーコーの言葉も出てきている。

それは、この<私たち自身の歴史的存在論>は、全体的で根源的なものであると主張されるようなあらゆる企てに背を向けるのでなければならない、ということだ。じっさい、もう一つ別の社会、もう一つ別の思考様式、もう一つ別の世界観についての、全体的プログラムを与えるために、現況のシステムを逃れでようという主張が、事実においては、最も危険な諸々の伝統を更新することにしか導かなかったことは、私たちの経験の知るところである。
 思考様式、権威の関係、性の関係、私たちが狂気や病を知覚するやり方、などに関する幾つかの領域で二十年来に起こってきたような非常にはっきりとした変化の方を、私はむしろ好む。私は、歴史的分析と実践的態度の相互作用の中で部分的にせよ実現してきた、それらの変化の方を、二十世紀を通して諸々の最悪の政治システムが繰り返してきた、新しい人間の約束よりも望ましく思うのだ。(p387〜388)

僕たちは今日、フーコーや彼の同時代の人たちが受けた「深刻な衝撃」というもの、それはそこに込められていた期待や希望の大きさ、深さの裏返しでもあるわけだが、その実質を知らないまま、ただその衝撃から結果したものだけを、自明なもののように受けとってしまっているのではないか、とも思う。
また、この「深刻な衝撃」を否認したがる態度も、それと同様に、期待や希望を本心から信じてはいないのである。


フーコーが言う<系譜学的>という言葉について考えようとして、どうも話がそれてしまったみたいだが、この論考の最後の部分の文を引用して、とりあえず終ることにしたい。

私たち自身の批判的存在論、それを、一つの理論、教義、あるいは蓄積される知の恒常体とさえ見なすのではなく、一つの態度、一つのエートス、私たち自身のあり方の批判が、同時に私たちに課された歴史的限界の分析であり、同時にまた、それらの限界のありうべき乗り越えの分析でもあるような、一つの哲学生活として、それは理解されるべきなのだ。(p393)