『差異と反復』読書メモ・その4

まだ読みきれてないのだが、あまりにもかっこよかったので、ちょっとメモ。

差異と反復〈下〉 (河出文庫)

差異と反復〈下〉 (河出文庫)

胚の偉業と運命は、生きられえないものそのものを生きることにあり、そして、あらゆる骨格を打ち砕きいくつもの靭帯を断ち切るような強制運動の豊かさを生きることにある。(p128)


生物学的な事例について言われているが、それに限らず著者が考える生の全体に関してもあてはまるモチーフではないかと思う。
ドゥルーズの本によく出てくる「シーニュ」という語の意味がよく分からなかったが、この本を読んでだいぶ分かってきた。世界をシーニュとしてとらえるということは、この世界では感じられない、考えられない、想像できないようなもの(イデア)を、この世界を感受することのなかでとらえる、肯定する、ということだろう。
つまり、世界はまったく経験的でのみあるというわけではない、とする態度のことだ。
それは「信」と言ってもいいが、ドゥルーズは、そのような信にもとづく生のあり方を、「(暴力的に)強制されること」、「受動的な」体験としてとらえるわけである。
人は、暴力的に強いられて、そうした態度をとるにいたる。強いているのは何か。それは生の中核にある「生きられえないもの」を生きようとする力、つまり差異の力だ、ということのようだ。
ドゥルーズの生の思想は、力(力動)に対する受苦の思想でもある、と言えるのではないかと思う。