『民主主義』への番組評から

先日言及したNHKの『33か国共同制作・民主主義〜世界10人の監督が描く10の疑問 』というシリーズの地上波での最後の回の放送、小学校のクラス委員の様子を描いた中国の作品と、市会議員選挙の候補者の姿を撮った日本の作品の二本について、18日の毎日新聞の夕刊に大山勝美という人が感想を書いていた。


作品として前者には作り手の「力」が感じられ、後者は凡庸、というのは同意見。
大山は、前者の番組に描かれた子供同士(親も巻き込んだ)の熾烈で時に醜悪でさえある争いの様子を「文革」になぞらえているが、当時との違いは、その実情を中国人自身がドキュメンタリーに撮り、世界に発信できるようになったということだろう。
NHKはこの他にも最近Nスペで中国の教育熱をとりあげた番組を放映していたが、それと比べても中国のスタッフが作ったこのドキュメンタリーの方が、断然強い「力」を感じさせる秀作だった。
大山はそれを、

説明やナレーションは一切なく、陳為軍監督は情緒を排してズカズカと現実に踏み込んでいく。「中国の民主主義は、こうにしかならない」と、自嘲的な居直りが番組に力を生んでいた。


と評しているが、自国の醜悪な面にズカズカと踏み込んでいく「怒り」というものが、この国のナショナリズムや「民主主義」というものの中核をなしていると思う。というより、腐敗や沈滞に対してそういう心情を伴わないとき、ナショナリズムや「民主主義」は制度や言葉だけの形骸となってしまうはずだ。


その意味では、日本の作品は、沈滞し形骸化したこの国の「民主主義」の現状をきわめて正確に描き出していたと思う。正確な反映、という点では、中国の作品に比べて遜色はないのだ。
にも関わらず、それが大山の言うように「凡庸」な印象しか与えないとすれば、そこに欠けているものは、「民主主義」や政治に対する作り手の思いの強さだということになるだろう。