上巻終わり

大阪でも、17日は一時雪が舞った。


『差異と反復』(文庫版)の上巻をやっとひと通り読み終える。
ここまで読んでみて、「ドゥルーズ=ガタリ」として書かれた『千のプラトー』や『アンチ・オイディプス』とは、何か違った感じがある。この本には在るが、「ドゥルーズ=ガタリ」として書かれた後年の著作には引き継がれなかった、少なくともあまり表立たないようになった要素が在るように思う。
なんというか、この本では(書かれた年代から言って当然かもしれないが)、主張が非常にストレートであるという印象を受けるのだ。このストレートさは、『アンチ・オイディプス』では少し減り、『千のプラトー』では影を潜めた(別のものに変わった)という印象がある。
本書の第3章を読むと、とくにその思いが強い。ここに書かれてるような主張は、すべて「今こそ」読まれるべきものだ。


その第3章だが、普段の表象的な思考のなかで、それが引き裂かれるようにして、本当の「思考すること」が(強制されて、非意志的に)はじまるというモチーフは、なんとなくだが分かる。
ブログに何か書こうと思うときは、そういう感じであることが多いからだ。
何がそれを引き裂くのか(強いるのか)ということが、この本で問われていること(同時に、この本が問うことを強いていること)の全てであろう。