ドーピング考

大リーグのドーピング問題、ステロイドの使用ということが、阪神のウィリアムスなど日本に関係する選手のことも含めて話題になっているが、こういう話題が出るとどうしても思い出されるのは、ほぼ20年前のこのシーンだ。



驚異的な世界新記録で金メダルをとったベン・ジョンソンは、筋肉増強剤の使用により失格となったわけだが、それでもこのシーンは、ぼくがこれまでに見たスポーツの場面のなかで、もっとも印象深いもののひとつである。
この走りが、薬物使用の成果によるものだと聞かされた当時、ぼくは「それでもいいではないか」と思ったものだ。
筋肉増強剤を使用した結果であるならば、なぜそれはいけないのか。
無論第一に、そういうルールがあるからだ。第二に、みんなを欺いたから。第三に、副作用などがあり、危険である。第四に人体に人工的な加工を加えるような行為は自然に反するから。
しかし、特にどれなのだろう?
ルール違反にならなければ、またしたがって使用してることを公言していれば、さらに副作用などの心配がまったくなければ、こうしたドーピングは許されるのだろうか?
そうでないとすれば、4番目が問題だということになる。しかし、人体に人工的に手を加えることは、それ自体で悪なのか?それなら臓器移植とか、入れ歯とかはどうなるのか?
そもそも、まったく「自然な身体」というものは、どういうもののことを言うのだろう?それは、あくまで守られねばならないものなのか?


とりあえずぼくに言えることは、ベン・ジョンソン世界新記録を見たときに感じた感動は、今でもまったく消えていないということ。
そして、にも関わらず、たとえばバリー・ボンズの薬物使用前と使用後の映像を見比べたときに、金や名声を得る世の中の仕組みのために、大事なものが許しがたく損なわれているという怖れを抱く、ということである。
この世の中の仕組み(スポーツは、それと無縁でありうるだろうか?)をどう考えるかということと、薬物やテクノロジーと人間の身体との関係をどう捉えていくかということとは、たぶんとりあえずは別なのだろう。
しかしまた、そう言ってしまってよいものかどうか、ためらいもある。