受難と反省

草なぎ君の会見は、とくに一番最初の、質問に答えるのでなく自分から語った部分の声と言葉の調子に、鮮烈な印象を受けた。


あれを「うつろ」と感じる人もいるかもしれないが、むしろ透明というか、聞いたことのない澄み切った言葉の感じだった。それ以上、どう表現したらいいのか分からない。
ただ、拘留中のスクープ的な写真の表情を見ても感じたことだが、そこに深い反省を読み取ることが出来ると思った。反省というのは、行動が悪いものだったからそれを恥じたり後悔しているというだけのことではなく、そういう行動をとった自分自身の存在を見つめている、考える以前に見つめて向き合っている、そういった意味の「反省」ということだ。
その深い意味の「反省」というものを基礎にして、その上にはじめて行動が含む罪に対する、あるいはその結果への責任に対する、狭い意味の反省が、はじめて生じてくるというのが、本来あるべき人間の姿なのではないか。
その深い意味の「反省」の過程を、この人は辿っているという印象を、僭越ながら持った。
その意味では、酒によってあのような行動をとったということ自体も、もしかすると、(無意識のうちに)この深い「反省」の一部分をすでになしていたのかも知れない。これは憶測だが、そんなことさえ感じさせられた。



さてそれに引き換え、権力の座にあるこの人物の、言葉の軽さ、そこに現れている精神の軽さと薄さは、寒々しいばかりではないか。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090424/stt0904241046002-n1.htm

公的な場で他人を「最低の人間」と、一時の腹立ちに任せて(それさえ疑わしいが)、軽々に言ってしまう感覚ももちろんひどいが、風向きが悪いと見るや、一夜にして形だけ「撤回」し、「『最低、最悪の行為だ』と言い換える」などと、そして「反省して出直してもらいたい」などと言ってしまえる、白々しさはどうだろう。
言葉に対しても、人間に対してもそうだが、「反省」という事柄についても、まったく浅薄な捉え方しかしていないから、こんな風に軽々しく言葉を口にしたり引っ込めたりできるのだ。


もちろんぼくも、深い意味の「反省」を十分に行うような人間ではない。
だがそのぼくから見ても醜悪なのは、深い「反省」など恐らく思ってみたこともない人間が、権力によって守られた位置にあるのをよいことに、ときには自分の利得のために、深い「反省」が何であるかを知ってそれを行っているさなかの人間を叩く、挙句にその人間について「反省して出直してもらいたい」などと口にする、その構図だ。
言わば生身で生きたこともないような人間が、生身で生きている人間を叩いている、そのように感じられるのである。



次に、今回の件の印象を書いておこう。
今回の、逮捕から家宅捜索、送検という流れは、常軌を逸したものであると思う。
弁護士が、

『「(この程度で)逮捕されるのは切ない話。さらに家宅捜索についても通常はやらない」』
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090424/crm0904242109040-n2.htm


と述べたというのも、理解できる話だ。
このくだりについては、「切ない」という表現は出てこないが、朝日に詳しい記述があった。
http://www.asahi.com/national/update/0424/TKY200904240311_04.html

――逮捕と聞いてびっくりしたが。

 矢田「なかなか難しい質問ですね。逃げたりするという要件ですね。大きな公園で時間が夜中の3時、人通りがあまりない。そういうところで裸になって公然わいせつ成立するかということもある。一般論で公衆にさらされているというところでは成立するという考えもある。難しいところ」

 ――家宅捜索は?

 「通常はしないと思いますが、芸能界の薬物汚染ということが巷間いわれているので、捜査を徹底したのかと思う」


要するに、逮捕しなければならない必要が、本当にあったのかということである。理屈をつければ、犯罪行為があったともいえる。だが、保護で済まされた可能性もあり、むしろなぜそうされなかったのか。
「薬物」という狙いがはじめからあったとすると、これはまったく不当逮捕だろう。
そうでなく、本当に「公然わいせつ」ということなら、今回の場合、逮捕までする必要があったのかと、思わざるをえない。
「公然わいせつで精神的な被害を受ける人もありうるではないか」という意見もあろうが、そのような被害を未然に防ぐということと、越権の可能性が強い法と権力の運用によって個人を摘発し、各人の行動を縛り上げていくということの間には、大きな距離があるはずだ。
つまり、今回の場合、実際に被害者は出てないわけだから、保護し叱責を加えたければ加えるぐらいのことで済んだはずなのだ。
深夜の公園で大声をあげて裸になるという、本来なら法的処罰の対象になるようなものではない行動が、あるべき社会規範からの逸脱として、公権力による厳格な処罰の対象となるという、今の社会の流れを加速させたい狙いがあるとでも、考えるしかないのである。
それほどに見せしめ的な感じの強い、今回の逮捕であり、送検である。


また、尿検査と家宅捜索の申請は同時に行われるから、前者の結果が白だったことが後者を行わない理由にはならないという解説も聞いたが、根拠もなく家宅捜索されることが当たり前になってしまったら、たまったものではない。
これも、薬物汚染が広がっているからという理由で、そうした先例を作ろうとしているのであろうか。
だがこれはほとんど、人権侵害といっていいのではないか。


ともかく、保護ですむべきところを逮捕し、捜索を行わずにすむところを行い、そして送検というところまで突っ走り、恐らくは警察の思惑か都合のなかで、草なぎ君の人生は翻弄されることになったという感が強い。
やはりぼくには、彼の姿は、受難した人のものにしか思えないのである。