『島原の乱』

島原の乱 (中公新書)

島原の乱 (中公新書)


島原の乱」というと、われわれは「殉教」とか、キリスト教の信仰を守り抜いて公権力に抵抗した敬虔な民衆というイメージを持ちがちである。また、飢饉や重税に苦しみ、信仰のもとに一致団結して抵抗したという民衆像も浮かんでくる。
しかし、この本から見えてくるのは、それらとは少し違ったこの乱の姿である。


本書によれば、この乱(一揆)を起こしたキリシタンたちは、キリスト教への改宗を非キリスト教徒の民衆に武力で強制したり、それを拒む人々を攻撃・迫害したりした。
キリスト教への強い信仰を持っていたわけではなかった多くの民衆は、こうした一揆側の暴力と、それを弾圧する公権力の暴力とのはざまに立たされて、生き残るために、そのどちら側につくかの選択を迫られる位置にあったのである。
現実に、この乱に参加した多くの信徒は、一度は棄教していたが一揆の広がりのなかで再びキリシタンの信仰に立ち戻った「立ち帰り」と呼ばれる人たちだった。最終的に原城に籠城した数万の「一揆側」の人々というのも、その内情、信仰の有無はさまざまだったのである。
ここには、「弾圧する公権力」と「抵抗する民衆」という二分法におさまらない仕方で、民衆のいわば自立的な生を、その生き残りへの意志をとらえ、肯定しようとする著者の意図があるように思われる。


また著者は、そもそも一揆を起こしたキリシタン民衆における「信仰」というものについても、特異なとらえ方をしている。
それは、今日「宗教」とか、とくに「殉教」という言葉からイメージされるような信仰の姿とは異なっている。
この人々は、戦国時代の民衆と同様に、飢饉や圧制に苦しみ翻弄される日々を生き延びるための、ぎりぎりの精神的な拠り所として「信仰」を求めたのだとされる。
近世的な権力は、いわばその意味での「信仰(宗教)」を禁教令によって奪い取り、幕府公認の教団宗教のなかに回収してしまおうとするものだったといえる。
ここでは、「キリシタン」という特定の宗派の是非が問題なのではない。人々が、支配的な公権力の外で、あるいは狭間で生き延びていくためのよすがとしての、そうしたものとしての「信仰(宗教)」を守り抜くこと、もしくはそれに結びついた生のある様態を奪回することが、「島原の乱」の本質だった、ということなのである。


それは、近世になって形成される大きな支配権力、統治権力の外側に、「生き残り」をキーワードとするような民衆の生のあり方、生への意志を、またそれを支えるものとしての(非近代的な)「信仰(宗教)」というものの存在を見定めようとする著者の意図に基づいた見解であると思う。
それは、「島原の乱」を、中世(戦国)的な生のあり方の最終段階の出来事として再発見することに留まらず、現在のわれわれの生の統治権力への対し方、そこにおける広義の「宗教」なるものの役割を再考する上でも、たいへん示唆的な見方であろう。
たとえば、ここでは「宗教」は、特定の教義(イデオロギー)を守り抜き継承していくための行為としての「殉教」とは決して結びつかず、あくまで人々の「生き残り」を支えるための不可欠な手段として「信仰」の力がとらえられる。
このことは逆にいえば、「信仰」(著者はそれを、非常の場合に自力ではない何かにすがること、と捉えているように思う。)のような「力」の保持ということと、「生き残り」ということの内実とが不可分に結びついていることを示しているとも言えるかもしれない。


以上のように、本書の視点を基本的には高く評価したうえで、著者の見解に疑問を感じたことを一点だけ書いておく。
それは、著者の歴史解釈が、「権力VS民衆」という、抑圧・抵抗の理解の図式を脱して民衆を自立的に、歴史の主役(主動因)として捉えようとするあまり、現実の公権力の力を逆に見えにくくしているように思えることである。
例えば本書の237ページで、著者はキリシタン迫害の苛酷さの背景に、宗教的な熱情を強めていた当時の民衆間の「抗争の厳しさ」をあげているのだが、やはり弾圧の主動因は支配者・統治者であると考えるべきではないだろうか。
民衆を、「抵抗のイデオロギー」の道具としてでなく、あくまで自立的な存在としてとらえようとすることは分かるのだが、そのことは権力に対する「抵抗」ということの価値を低減させることによって可能になるのではないと思う。むしろ、「生き残り」と結びつくものとしての「抵抗」という行為の核心を、公権力との戦いの不可避さのなかにも見出していくというのが、とられるべき道ではないだろうか。