『暴力の日本史』

暴力の日本史 (ちくま文庫)

暴力の日本史 (ちくま文庫)


南條範夫という人については、月影兵庫シリーズの原作者というぐらいの認識しかなかったが、東京帝大卒のエリートで、満鉄調査部を経て戦後は経済学者として活躍、東京の都市計画などにも関わったらしい。それが途中から、時代物のベストセラー作家に転身したという、異色の経歴だ。
それを頭に入れて読むと、この本が当初出版された1970年当時の時代状況とも重なって、為政者の側の、「民衆」や「抵抗」に対するニヒルな感覚が色濃く示されているような読み物になっている。その描写には、サディズム的な要素もうかがわれる。


だが、僕が読んでいて一番印象的だったのは、江戸時代の一揆の多さと激しさである。
ふつう、日本の歴史でもっとも一揆の多かった時代は室町時代(戦国末期にかけて)だとされており、土一揆国人一揆一向一揆など様々な形態をとったその様子は、この本でも詳しく述べられている。
それに比べると、江戸時代の一揆というのは、刀狩や幕藩体制の確立による物的・精神的な農民たちの「武装解除」が進んだことから、どちらかというと微温的な、いわば体制の枠内での請願のための行動にとどまるものであったというのが、僕の認識でもあった。
だが、どうもそう単純に言い切れるものではないということを、この本を読んでいて思った。
たしかに、江戸時代の農民たちの直接行動(一揆)は、体制の変革や解体を目指した農民戦争のようなものからはほど遠かったことは事実だが、そこには巨視的に見ると民衆の持続的なエネルギーの噴出のようなものがうかがえるのだ。
たとえば、武器にしても、「害獣の駆除に必要だから」と嘘をついて領主側からまんまと多くの鉄砲をせしめ、武装して闘うというケースもあったようである。また、村どころか、藩の境界さえ越えた、広範囲な連絡網と共闘(明和年間以降に頻発した「幕藩惣百姓一揆」)を実現させていく、周到な技術や戦術の発達ぶりも、読んでいてわくわくする感じを受ける。
農民たちは、一揆を起こせば成功しようと失敗しようと、指導的な何人かは必ず残酷に処刑されるということが分かったうえで蜂起しているのだ。追いつめられた結果とはいえ、立ち上がることをやめないその姿には、鬼気迫るものを感じる。
命がけの反抗に対峙する、統治者たちの方も命がけだ。鎮撫の命を受けた家老が、交渉の場でいきなり切腹し、その壮絶な死に様に気圧された農民たちから当面の譲歩を引き出す、といった出来事すらあったそうである。
しばしば数万、数十万の人々を動員した一揆の勢いに圧された権力側が、一度は要求を呑むと言明しておきながら、いったん沈静化するや約束を反故にし、指導者を捕まえて残虐な処刑を行うことで見せしめとしたというような、狡猾なやり口は、基本的に今も変わらないものだろう。
たしかに、こうした封建体制下の一揆というものは、その抵抗や破壊行為(打ちこわし)がどれほど激しくとも、ガス抜きのようなものだともいえる。人々は、一度鎮圧され、指導者たちの処刑などの厳罰を見せつけられると、意気阻喪して再び立ち上がろうとはしない。その姿に、無力さや諦めのようなものを見ることもできよう。
著者の南條は、それを弱々しく、あまりに惨めな敗北の歴史として捉え、室町期の大反乱にしても、江戸後期・幕末の暴動的な一揆の多発にしても、それが社会変革や革命につながらなかったことをもって、日本における民衆のエネルギーのひ弱さの証拠のように書いているのだが、しかし、それはあまりにも西洋中心主義的な、あるいは民衆蔑視的なものの見方というものではあるまいか。
実際に理念も理論も与えられていなかったのだから、一揆のような運動が体制の意識的な変革につながらなくても、それはやむをえないだろう。それは、そうした(理念や理論という)拠り所がいちおうは与えられているにも関わらず、腰砕けになって体制に順応していった、近現代の日本社会の「抵抗」の低調ぶりとは、同断に扱えないものだと思うのである。
僕は、むしろ、そうした惨めで凄惨な結果になることが分かっていても、こうした大規模で周到な「ガス抜き」的反抗を、延々と繰り返し続けた江戸期の民衆の姿に、時に破壊的でもあるエネルギーの持続と継承を見る思いがする。
南條自身が、

だが、下からの暴力は、わが国においてもけっして無意味ではなかったのだ。それどころか、こうした下からの暴力=抵抗こそ、その上からの暴力=弾圧に対する消極的、積極的闘争をつうじて、究極的に大きく時代を動かしてきたのだ。(p262)

と書いているような側面こそ、重視されるべきだと思う。
そう考えるなら、政治や資本の圧迫の前に諦めきってしまって、なんらの破壊的抵抗もなそうとしない現代のわれわれ日本人の姿は、むしろこの本の最初に描かれた、古代日本社会の奴隷化された民衆の姿にこそ似ていると思える。
そこから脱却するために、われわれには江戸期の民衆の不屈のエネルギーから、学び継承するべき多くのものがあるのではないか。


むしろ、一揆に見られる江戸の民衆のエネルギーに関して、気になるのは、次のようなことである。
本書によれば、江戸期の一揆が反権力的な色彩と、暴動的な性格とを鮮明にするのは、幕末近くになってのことだった。その背景にあったのは、「外圧」や大塩平八郎の乱の影響によってもたらされた幕府の権威の低下であり、「思っていた程たいしたものではない」という、権力に対する侮りの気持が、この暴動的な行為を可能にしたのである。
これはつまり、抑圧者が弱いから反抗(攻撃)するという、力の論理への従属、「いじめの論理」に似通ったものではないか。理念や理論に媒介されていないことのマイナス面は、具体的な社会変革のビジョンにつながったか否かということよりも、そうした「力(権力)の論理」以外のものを運動が胚胎しえたか、という点に関わるのではないか?
それは、ヨーロッパの反抗や革命、植民地解放闘争、中世の宗教的反乱(一向一揆島原の乱など)とは違って、何らかの理念や信仰、形而上学といったものに媒介された民衆的暴力ではなく、あくまで現世的な力の論理だけに従属する民衆的暴力だったと思われる。
だからこそ、明治政府のように、強固な実力を有する権力構造(強者による支配)が出現すると、こうした「民衆のエネルギー」は、やすやすとそれ(帝国主義国家)に同一化していったのではないだろうか?