ビルマの夜など

こちらに引用されてる中沢新一の自然観は、たしかにずいぶん変だという気がする。
関連するかどうか分からないが、読んでいて思い出したこと、考えたことをいくつか書く。


先日、戦時中のビルマでの日本軍の行動をとりあげたドキュメンタリーの中で、当時兵隊の間では、ビルマは高温多湿のため感染症が流行ったり、吸血ヒルや毒蛇がはびこるなど「土地が悪い」と言われて、行きたくない戦場とされていたという話が出てきた*1
ぼくは、戦争のことはともかく、人間(といっても住民じゃないけど)にとって悪い土地(環境)であっても、ヒルとか毒蛇とか細菌にとっては天国のような環境かもしれないよな、と思ったものだ。


それに、人間にとっての「美」という基準から考えても、こういうことがある。
ビルマで思い出したけど、魯迅の作品のなかにこんなエピソードがでてくる。
ロシアの盲目の詩人エロシェンコという人が、北京にやってきて魯迅に「砂漠に居るようで、寂しい」とさかんに言う。この人は、ここにやってくる前に滞在したビルマの夏の夜と比べていたのである。

《こんな夜は》とかれは言った。《ビルマでは至るところ音楽だ。家のなかも、草むらも、木の上も、どこもかも虫の声よ。いろんな声がいっしょになって、素晴らしい合奏なんだ。あいだに〈シュッ、シュッ〉という蛇の鳴き声が絶えずまじるが、それも虫の声と調和して・・・・》その情景を思いうかべようとするらしく、かれは思いに沈んだ。(「あひるの喜劇」 竹内好訳)


そうした音響の聞こえてこない北京の自然を、この詩人は「寂しい」と言ってけなしたのである。愛国的な感情にかられて、魯迅は抗議しようとするのだが容易に言葉が出てこない。
蛇の声を楽音として聞くような精神にとっては、過酷と思われる環境がまた別の意味をもったりするのである(これも、人間中心の自然観の一種ではあるが)。




それと、これは別の話だけど、中沢の文章に出てくる「神社の森」ということ。
よく「神社の森は、貴重な自然を保持してる場所だから大事にしなくては」ということが言われる。
昔からの自然が維持されてるという意味ではたしかに貴重な場所と思うし、ぼくもじつは「神社マニア」なのだが、ほんとうを言うと都会のなかで「神社の森」にしか自然が保持されてないという状態が、ずいぶん歪なものだと思う。街のそこここに「神社の森」みたいな自然が残されてる社会が、ほんとうは望ましいはずだ。
そういう場所は、たしかに大切であり、維持された方がよい、もしくは維持されるべき空間であるのだが、社会の中で維持されていくということと、「守られる」「保存される」ということとは微妙に違う。「貴重なもの」と呼ばれて「保存される」ことが、社会全体の歪みから目をそらせるための封じ込めの手段でもありうるからだ。
「なぜそこが社会の中で貴重(希少)な場所になってるのか(されてるのか)」という問いかけ(自問)が、常に必要だろう。

*1:東亜の解放、というような押し付けられた名分を信じてた兵隊が滅多にいなかっただろうことが分かる