野平と岡部

ダイワスカーレット秋華賞を勝った日曜日、午前中のNHKの番組に名ジョッキー、調教師として知られた故野平祐二の映像と音声が流れていた(物故した人の映像を紹介する番組で、前回は谷崎だったが見逃した)。


この野平という人については、ぼくはよく知らないのだが、たいへん含蓄のある話をする人という印象を受けた。
たとえば、昔、この人が乗っていたフクリュウという名前の馬が居たそうである。この馬は、人間の気持ちを察知することに過敏なのが欠点で、人間が心のなかで何かを考えたり思ったりしただけで、それに反応してしまい、レースでいい結果を出せなかった。そのため、この馬に乗るときには「無我」の気持ちで乗るしかなかった、と野平は言っていた。
聞いていて、不思議な感じ、しかし何か「力」のようなものを感じる面白い話だった。


他のスポーツや勝負事でもそうかもしれないが、競馬の世界でもひと時代前の「名人」と言われた人の話し振りには、ひきつけられるものがある。
以前、引退した名騎手岡部幸雄の『勝つための方法』(だったかな?)という本を図書館で借りて読んだが、非常に面白かった。
どんなことが書いてあるかというと、たとえば、昔から「馬に乗ろうと思うな、馬の気に乗れ」という名言があるそうだが、牡馬はそれでよいのだが、牝馬はそれでもまだ駄目だそうである(牡馬以上に気性が乗りこなしにくいので)。牝馬の場合には、一頭一頭の性格に固有の「形」のようなものがあって、その固有の目に見えない「形」を乗りこなすというイメージで乗ると、いい結果が出たそうである。


こういったことは、昔の職人芸と同じで、言葉で語り伝えるということが難しいのだろう。
だがこれらの言葉は、たしかに実践的には(コーチの言葉としては)伝わらないかも知れないが、別の意味では、何かをしっかりと伝えてるように思う。