「アラブのメッカ」

今でこそサラブレッドのレースばかりとなってしまったが、園田・姫路の両競馬場を舞台とする兵庫県営競馬は、かつてはアラブ種の競馬のみが行われ、とくに園田競馬場は「アラブのメッカ」という(よく考えると変わった)呼び名が付いていたほど、日本を代表するアラブの競馬場とされてたのであった。


ぼくも、今では滅多に行かなくなったけれども、少し前までは頻繁にここを訪れて馬券を買っていた。
アラブの競馬の兵庫県における最後の全盛期を見ることが出来たのは、今から思えば幸せだった。


アラブとサラブレッドはどう違うのか、よく分からない人が多いだろうが、これは見慣れてくると一目瞭然といっていいほど、違うのである。
アラブ種を「品種改良」して作られたのがサラブレッドだとされている。つまり、競走で早く走れるように変えられたのである。
だから普通は、両者が一緒に走ることはなく、一緒に走っても必ずサラブレッドが勝つと言っていい。
ただ、これは昔日本のサラブレッドのレベルが今ほど高くなかったせいもあると思うが、かつてはサラと互角以上に戦ったアラブも居たらしい。
かつてオグリキャップスーパークリークと共に三強と歌われ、中央競馬に大人気時代をもたらしたイナリワンという馬がいたが、この馬のお母さんは、じつは「アラブの魔女」と呼ばれたイナリトウザイというアラブ種であった。この馬は、サラブレッド相手に、中央で堂々たる成績を上げたらしい。


まあそういうこともあるが、基本的には、アラブはサラブレッドほど、スピード競走向きではないのである。
したがって体型も、アラブはどちらかというと、まあロバに近い(アラブがこれを聞いたら怒るだろうが)。あるいは荷物の運搬とか農耕に使われる馬に近い、力強い体型をしている。
身体的な特徴だけでなく、性格というか、気性の面でも、見た目においてかなりはっきりした違いがある。サラブレッド特有の繊細でピリピリとした感じが、アラブには乏しく、どっしりと落ち着いて見える。
ただ、サラブレッドのピリピリした気性の勝った感じというのは、日本独特の育成・調教システムによるところが大きい、という説も聞いたことがある。
それからアラブの場合、次第にサラブレッドとの混血化が進み(生産される絶対数が減ってることが大きな理由だろう)、昔よりは「アラブらしいアラブ」が減ったと、オールドファンみたいな人は、その頃に言ってた(そういう「オールドファンらしいオールドファン」も、今や絶滅寸前だが。)。


ただ、それでも見慣れてくると、ほとんど確実に、目の前の馬がアラブかサラかは分かるようになる。
ただし、もちろん個体差も大きい。
具体的に名前をあげると、帯広の道営競馬から来たキタノプリンスという馬が居た。この馬は、ぼくが見た中で、もっともアラブらしいと思ったアラブである。
馬というより牛に近いような感じで、体重も重く、雰囲気も日本の田舎でやっている闘牛の牛のような、モワーッとした感じがあった。


また、いかにもアラブらしいというと、島根の益田競馬場から鳴り物入りで移籍してきた「日本海の怪物」こと、ニホンカイユーノスというあし毛の馬が居た。
この馬が面白いのは、パドックを回っていて、ある一箇所に来ると、必ず立ち止まりテコでも動かなくなるのだ。引き手が引っ張っても、容易に動くものではない。一周するごとに、それがくり返される。
競馬を知ってる人なら分かるだろうが、サラブレッドでは、こんなことはまず考えられないのである。


特徴の話から外れるけど、「最後のアラブ三冠馬ケイエスヨシゼンの多くのレースを見られたのは、今思うと誇りといってもよい。この馬も、どちらかというと、当時としてはアラブっぽいアラブに類したのではないかと思う。
また、そのライバルだった「女帝」ヒカサクィーンという強い牝馬がいたが、この馬は「兵庫県で一番競馬のうまい馬」と呼ばれ、騎手(尾林というジョッキーが乗ってた)が指示を出さなくても勝負所を見計らって自分から動き出す、という伝説があった。
ケイエスヨシゼンに主に乗ってたのは、たしか今中央競馬に居る岩田君である。一方、小牧太には、セキメイヒットというアラブの強いお手馬が居た。
この小牧騎手をはじめ、兵庫の競馬の騎手や調教師の多くは、じつは鹿児島の競馬から来たらしい。鹿児島の競馬場がなくなったか何かで、同様にアラブをやっていた兵庫まで流れてきた、ということのようだ。
このへんの話も、調べると面白いことがあるのだろうと思う。


追記:馬名を間違えてました。道営から来たのは、キタサンプリンスじゃなくて、キタノプリンスでした。失礼しました。