『日本精神分析』

日本精神分析 (講談社学術文庫)

日本精神分析 (講談社学術文庫)


ずっと愛読してきた書き手だが、下のような部分は、今回はじめて読んだ。

この朝鮮の存在が、日本における政治的・文化的形態を大きく規定しています。(中略)他方、中国と日本の間にあることが、朝鮮における政治的・文化的形態を規定しているといってよいでしょう。原理的・体系的なものによる抑圧がなかったということは、逆にいうと、それはそのような体系的な抑圧が強かった朝鮮が存在したからであり、また朝鮮においては、そのような異民族の侵略の度重なる経験が「抑圧」と「主体」を強化してきたのです。このような根本的な「関係」を離れて、両者の歴史を考え、さらにそれらの関係を見るということでは、それぞれのユニークネスを主張することにしかなりません。(p112〜113)

いずれにせよ、重要なのは、たんに中国・日本・朝鮮の思考における差異を見ることではなく、それが歴史的な相互の関係によってそうであるということです。だから、それらを民族的性格として固定してみるべきではない。それらの関係が変われば、そのような性格も変わってくるはずです。(p115)


ぼくも10代の頃から、ずっと同じようなことについて考えてたので、言ってることがすごくよく分かる。
日本について考えるときに、朝鮮という項を外して考えることはできない。日本と朝鮮は、いわば双数的なのだ。
そういうふうに言うと、たとえば、「どうして朝鮮との関係だけが特権的なのか?」というふうに反論する人もある。だが、そういうことではない。
柄谷が言ってるのは、日本における(政治的・文化的な意味での)「関係」のような概念が、そもそも朝鮮や中国との「具体的な関係」から生じているのだ、ということだ。
「特権的なもの」など何もなく、具体的な他者との関わりの歴史だけがある。
『根本的な「関係」』というのは、そういう意味。
この批評家は、こういうところが一番面白いのだ。