「言葉にならない」二つのもの

以前から、韓国の人たち(特に若者)と交流する場に参加したりしていて、よく思うことがある。


それは、話し合いの場で自分の主張や思いを言葉にすることが、自分や日本の参加者たちには、とくに不得手な人が多いのではないか、ということである。これは、ぼくより下の年代、とくに70年代後半から後ぐらいに生まれた層の人たちには、とくに感じる。
韓国の参加者には、そうした場での発言に慣れた印象の人が多く、言葉の壁の問題は別にしても、そこのところの隔たりによって、お互いにフラストレーションが溜まる、というようなことがあったと思う。
つまり先方は、「日本の参加者は、自分の意見や態度を明確に表現しないので理解しにくく、何か信用できない」と感じ(ているようにこちらには思われ)、またこちら(ぼくのことだが)にしてみると、自分の言い分ばかりを強く主張してくる韓国の人たちの態度に、引け目や圧迫されるようなものを感じ、さらには、全ての心情や思いを明確に言語化して割り切ろうとするその姿勢に、どこか抑圧的なものを感じたりする。昔の言葉で言えば、「漢意(からごころ)」に対する反発という奴であろうか。


こうした彼我の差異には、言語や文化・社会的なさまざまな理由が考えられるだろう。
ぼくがひとつ大きいのではないかと思うのは、近年の両国の公教育のあり方の違いということである。
とくに80年代頃から、これは斉藤貴男などが書いてきたことに関連すると思うのだが、日本では産業界の要請もあって、明確な自己主張をしないような人材を、意図的に育成するような教育が行われたという側面がある気がする。これは、「ゆとり教育」というものの負の側面、というより産業や産業行政の思惑が働いた側面と言えるのではないか。
この結果として、自分の考えや思っていることを、議論や公的交流に適するような言葉に変換して発信するフォーマットのようなものが植えつけられず、国際交流の場などでフラストレーションが溜まりやすかったり、また社会生活一般においても何か不利益を実際に受けたり、社会生活が「苦手」と感じるような人たちを多く生み出すことになった。
とりあえず、そう考えられる。


一方で韓国には韓国の国のあり方なり方針や戦略というものがあり、ひとつには分断体制下で徴兵制が敷かれているという現実(安保体制下の日本の軍事的状況と上記のような日本の公教育の関連も、きっと強いだろう)や、また国際資本主義に対応する人材を育成しようとする国家や産業界の意図が、伝統的なものに加えて、明確な自己主張を得意とする個人を形成したという面は、たしかにあるのではないかと思う。
こうした両国間の公教育、そこにはらまれた国が置かれた状況や歴史的事情の違いにも由来するその差異が、交流の場での齟齬や鬱屈の小さくない理由になってきたのではないかということは、漠然と考えてきた。


だが以上のようなことは、互いが自明のもののように感じている、感覚や考え方の政治的な構築性を自覚する意味では大事だろうとはいえ、あくまで事柄の一面である。
韓国の公教育が、ぼくが感じているように、主張の明確さに第一義を置くあまり抑圧性が強かったり、なにか繊細なものを切り捨ててしまう面があるというのが事実であるとしても、この「切り捨てられる」「抑圧される」とぼくが感じているものの内実こそが重要なのである。
端的に言うと、このぼくの感じ方が真実性を持つのは、それらがたとえば韓国社会における障害者差別や性的少数者に対する差別、それら社会のなかで現実に被害を受けたり抑圧されたりしている少数者たちの存在を想起することにつながっている場合だけだと言ってよい。
その場合にだけ、「漢意」的なものに対するぼくの反発や違和感は、ぼく自身や自分が所属するこの社会の差別性・抑圧性をも撃つ、真実さ、正当性を保有するのである。
実際には、「切り捨てられる」「抑圧される」というぼくの感じ方の内部、その不満や反発には、その対象のなかに自分自身というものが投影され、混じりこんでいる。
つまりそれは、「思いや考えを明確に言葉にしないでもすむ」という特権性を揺さぶられたことに対する、ぼくという一日本人マジョリティの反感の(屈折した)表明に過ぎない、ということである。


明確な言葉にはできないような繊細なものが、明確な主張のみを良しとする国家的・社会的な規範により抑圧されたり切り捨てられることへの疑問や、場合によっては怒りが、正当性をもつのは、その怒りが自分自身の特権性や差別性にも、そしてそれを構成した権力に対しても、同様に差し向けられる場合のみである。
マジョリティである私は、あらゆるマイノリティのために、また人間の真のマイノリティ性(差別され抑圧されうる要素)のためにこそ、あらゆる支配的・差別的な規範の力に対して怒るのである。
「思いを言葉にすることを封じられている」人たち(マイノリティやサバイバー)の苦悩と、「言葉にしないでもすむ」という特権性に無自覚でいられるマジョリティの不満やルサンチマンと、この二つの「言葉にならないもの」はあくまで別なのであり、前者が後者によって盗み取られることは、差別の恐るべき強化と正当化、そして他者への攻撃性の(多くは操作された)増幅をもたらすだろう。
一般にぼくたちは、抑圧されてきた人たち、被差別的な位置にある人たちが、生きるためにやむなくなされた「明確な言語化」によって、いわば血を流しながら発した言葉にこそ、苛立ち、不満やコンプレックスを感じるものだ。そして、「そんな明確な言語化によって、切り捨てられる繊細さや、苦しむ人間も居るのだ」という風に、少数者を引き合いにだしてまで、自分たちのその苛立ちや反感を正当化しようとする。その指摘そのものはある程度事実であっても、そこに込められた意図には充分に注意しなければならないのだ。
そして、こうした不満は、排外主義の拡大に通じるばかりでなく、さらに権力によって(ポスト安保体制下での)新たな軍事化とか、「ディベートの巧みな国際的人材」の育成への動機づけとされ、また新たな「公共空間」であるとか「競争社会」といったものに適合的な、「あるべき日本人像」の作り直しにも動員されていくだろう。


ところで、こうしたことを自覚するとき、ぼくの目には一見抑圧的にしか思えない韓国(や朝鮮)のような国のもつ、ときには集団主義的な規範のあり方が、日本的な枠組みにおいては排除されたり抑圧されることが自明になっている、人間性のなかの重要な何かの保持と、実は隣り合わせになっていることにも気がつく。
それらの社会の、そうした性格がまったく抑圧的であったり差別的にしか思えないのは、その「にしか思えない」という排他的限定性には、ぼくを構成し支配している、この日本の社会の差別性・非人間性の根深さが、まざまざと示されているようにも思えるのである。
それはぼくたちが、自分のなかに今も生きている植民地主義の暴力の実体を、垣間見る体験でもある。