フーコー

午前中気が向いて、積読だと思っていた『フーコー・コレクション』(ちくま学芸文庫)の「狂気・理性」という巻を開いてみた。


読んだ本は包装紙を外す習慣で、外してないので読んでないと思い込んでたのだが、興味のあるところは読んで線を引いてあった。
最後に、フーコーが日本に来たとき(70年ごろか)のインタビュー「文学・狂気・社会」というのがあり、それは未読だったので、ざっと読んだ。
聞き手は、渡辺守章清水徹


そのなかでフーコーは、68年の経験によって、フランスの知識人や文学者は、大学教育や文学について、それがブルジョアの装置になっているのではないかという疑いをもたざるを得なくなった、と力説する。これはもちろん、中国での文革の影響ということもある。
ブルジョアジーの「取り返しの力」の強大さ』という言葉が使われており、「文学」についても、「いまや真に革命的な行動に移るべきときではないか」、「書くことをやめるべきなのではないか」とフーコーは自問している。


こうした文学観、というか認識や情動は、この時代には当然のもののように思われたのに、やがて綺麗さっぱり忘れられていく。
これはやはり、あんまりだと思う。
文革学生運動に対する否定と共に、この認識や情動の真実さも、制度による健忘症の対象になってしまったのだ。


フーコーがこういう風に言っている一つの背景には、当時のフランスの左翼知識人の間で、「文学はそれ自体、体制破壊的なものだから、書いてさえいれば行動をする必要はない」という変な考えがはびこりつつあった、という事情があったらしい。
こういう考えは、たしかに非常に良くないものだろう。
それに対しては、「書くこと」を否定せざるをえない。


それとは別に、こういう風に言っている。

書くことをやめるべきなのではないか。私がこう言うとき、どうか冗談だと思わないでいただきたい、現に書き続けている人間として、なおこう言うのです。しかし、私に親しい友人たち、私よりも若い友人たちは、決定的に、少なくとも私の感じでは決定的に書くことを放棄してしまった。そして政治活動のためのこのような放棄を前にして、正直のところ私は、感嘆の念に捉えられるばかりでなく、自分自身、激しい眩暈に捉えられるのです。結局のところ、私は、いまやもう若いとは言えなくなった自分の年齢のために、いまもってこの活動を――おそらくは私がそれらに与えたいと望んでいた批判的意味はもはや失ってしまっているかもしれないこの活動を、継続しているにすぎないのではないかと思うのです。(p382)


もちろんこの後も、フーコーは死に至るまで書き続けるのだが、それはこの「眩暈」のなかで書き続けた、ということだろう。行動と共に。
忘却されたのは、この「眩暈」だ。

そして現在、世界中の大学で、大学人も学生も感じている、教えることの、あるいは教えられることの不可能性というものを、ものを書くすべての人が、ものを読むすべての人が、いまや感じるべきではないかと考えるのです。もちろん、これからも教えることは必要でしょうし、知識を受けとることも相かわらず必要でしょう。しかしその方法はどういうものであるべきか。それはわれわれには全くわかっていないのです。とにかく現在われわれを捉えているような不安――あなたがたもよくご存知だと思いますが、それが、現在、講義をしたり授業をしたり、あるいはそれを聴くことを極めて困難にしているところのものですが――このような困難さというものは、おそらく必要でもあり、かついつの日か豊かな結果をもたらすものでもありましょうが、このような困難さを転移して、文章活動についても、同じ形で感じるべきではないか。(p404)


「不可能性」、「不安」、「困難さ」、と呼ばれているもの。