獄中の福本和夫は

また立ち読みの話。


近所にあってよく立ち寄る本屋は、中規模の店舗なのだが、わりと面白い品揃えをしている。どんな本があるというと、こないだは道場親信の『占領と平和』が置いてあって、思わず買いそうになった。
そして、なんと福本和夫の自伝も並べてあった。



こちらをちょっと立ち読みしてみたが、面白かったのは、やはり戦前・戦中の獄中生活を書いたくだりで、長年の独房生活を耐え抜くことができた最大の要因として、受刑者の世話をする職員の人たちと良好な関係を作り、「自分の手足のように」用いることができたことであるということを、その人たちへの深い感謝の気持ちをこめて書いていたことだ。
福本は、そうしたことこそが、獄中生活を生き抜けるかどうかの最大のポイントなのだ、とまで断言している。


このことが興味深く思われたのは、先日書いた正岡子規の看護(被看護)についての文章を思い出したからである。
病床の子規と、独房の福本では、事情はまったく違っているが、他人の助けによらなければ生きていけない、別の言い方をすれば、他人を「自分の手足のように」用いねば生きられないような生を強いられたという点では、同様ではないだろうか。
そしてどちらも、その境遇を積極的に自分のものとし、ことに福本の場合には、他人との間にすぐれて機能的な関係を成り立たせたのではないかと思う。
「他人を自分の手足のように使う」といった表現は、よくないことのように思われがちだが、そうせざるをえない立場に置かれることではじめて見出され開かれる他人との関係の有り様というものが、そこには示されているように思えた。
福本以外の人の、獄中生活を書いた文章も少し読んだことはあるが、これだけあっさりとした、しかも相手への心からの感謝の気持ちが込められた文章を読んだ記憶はないので、とても印象的だったのである。