母の病状

母は、やはり認知症が進んでいるような感じで、今日は一日体調の不良を妄想のような表現で訴えつづけて、その相手をするのに大変だった。どういう妄想かというと、自分の身体の器官について独自のイメージを持っているようで、その器官のつながりを自分でコントロールできる、しなくてはいけない、と思っているらしいのである。
これはきっと、すべて自分の責任で取り仕切ったり、制御しなくてはいけないという気持ちの強さのあらわれなんだろうと思う。
早朝から深夜まで、こちらには理解できないような内容のことを訴えられ続けるとたしかに参るのだが、同時に、自分でも驚くほど冷静に相手をしている自分が居る。
これは何なのかなあ、と思う。
明らかにこちらと違う感覚や言語の世界に入ってしまっているように思える母と、そうなるまえの状態の母との間に、それほど大きな断絶を感じない。同じ人が生きていることには違いないのだから、と思う。
もちろん同時に、今日などは、完全に「対話不能」のような感じになってしまっていたわけだから、もう元の母という人格に完全に戻ることは決してないだろうとは思え、しかし、それは所詮それだけのことでしかない。繰り返すが、別の人が、別の生が生きているわけではないわけである。
だというのに、「対話不能」であるとか、「元の人格」に戻らないということで、何か決定的なものが失われたようにも感じている、この自分自身の感覚は、ある意味ではひどいものではないか。
というのは、目の前のこの人が生きていることの全体を見ておらず、これまで何十年間か続けてきた日常的な関係の枠におけるその人しか見ていない、見ていないわけではないが、なにやらその部分だけが、その人の「かけがえのなさ」である、と錯覚している。
そのことによって、排除されてきたもの、ぼく自身の意識がそのうえにあぐらをかいて居座っている家庭生活の日常的な関係の場の「力」によって排除されてきた母の存在の基底のようなものに、ある種の愛惜のようなものとともに気づく。
そういう気持ちが、心のどこかにあるので、母の大きな変化というものにも、冷淡なほど冷静でいられるのか。


といっても、やはり病状は斑模様で、深夜例の睡眠薬を飲むと、一瞬にして活力が出て正気に戻る、いやそうではなく、認知の面ではあい変らずこちら側とは「別の言語」の世界に生きてるようなのだが、気分の活発さのようなものが、部分的にその「齟齬」を上回り気にかからないほどにさせてしまうのだ。
経済的には、先のことを考えると、展望のようなものはとりあえずないのだが、今のところは老母の変化とできるかぎり付き合っていくしかないと思うし、幸いそうしていられるほどの余裕はある。