宮台真司の「左翼批判」批判

『G★RDIAS』さんや、『Kawakita on the Web』さんでお知らせのあった以下の番組(宮台真司小林よしのり萱野稔人の各氏が出演)、前半のパート1だけを見たので、その感想を簡単に書いておこう。

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話の出だしのところでは沖縄のことが話題になってたわけだが、ひとくちに言って、小林が近著『沖縄論』の執筆前後に、とりわけ沖縄に行ってみて感じた驚きとか戸惑いとか憤りといったものが、宮台の語る図式的な左翼批判のなかに回収されてしまっているという印象を受け、そこに不満をもった。
沖縄の現状に強い違和感をもつというのは分かるのだが、その理由として「保守にも左翼にも共通する構造」みたいなものが提示され、それはそれで正しいとも思うのだが、すべてがそこに還元されることによって、現実に感じられた「動揺」が解消されてしまう。


たしかに、この鼎談で語られていたような「構造」が、そこにあることは分かる。それは、一口に言うと、鼎談の最後の方に話に出てきた、戦後の日本がアメリカに国家としてすっかり依存し、その依存と引き換えに「平和な社会」と「経済的発展」を手にしたという事実があり、そのことの一面として沖縄が「基地の島」になってしまったという現実があるのだが、そのことにもまったく無自覚なほどこの「依存」は骨がらみであって、その無自覚さの上に立って、保守による収奪や政策も、左翼による「沖縄」の占有も続いているということであり、その(痛みへの)無自覚さの上に立って語られるどんな「愛国」や「ナショナリズム」も、また「平和」や左翼思想も、欺瞞でしかありえない、ということである。
保守も左翼も、そしてぼくたち自身も、アメリカに依存することによって、そのおかげで自分たちの権益を得ているわけだが、その構造に乗っかったうえで、沖縄の「地域振興」だの「平和」だのを語ることは、アメリカによる沖縄の収奪と同じ構造のなかで行われることでしかない。それぞれが、自分の理念を、都合よく「沖縄」という対象に押しかぶせているだけで、その行為は、アメリカが沖縄を「手段」として利用し続けることと、どう違うのか?何も違わない、というわけである。


たしかに、「沖縄」に限らず、このような構造が、ぼくたちの社会や国家、そしてぼくたち自身のなかに根深くあるという指摘は正しい。ぼくも、こういう「構造」をよく批判的に書くが、それは自分自身が行っている行為でもあるからだ。
だが、宮台は、この批判するべき対象のなかに、本来はそこに入らないはずのものを押し込めることによって、「動揺」をもたらすような何かに蓋をしてしまっているのではないか。


たとえば宮台が左翼の沖縄に対する視線を批判するとき、沖縄のなかにもある差別構造を指摘して、いわば脱神話化を行うことは、見当違いなのだ。こうした差別構造の批判は、左翼の内部ではすでに行われてきているからである。というより、こうした神話解体的あるいは内在的な批判こそ、左翼が左翼である由縁といえるもののはずだ。
宮台たちが批判しようとするような「構造」は、この内在的な批判を無化したり抑圧してしまうような(左翼内部の)構造のことである。
それが戦後の日本の社会の欺瞞的なあり方に起因しているということはその通りだろうが、その構造に回収されないような「怒り」や「問いかけ」や「憤り」があるということの方が大事であり、それが現実に社会のなかに渦巻いていることに、「左翼」的な考えや動きの生じる土台はある。
経世会のような「保守」と同じように、左翼団体やインテリが、その土台に渦巻くものを抑圧し無力化するような関わり方をするのなら、それはたんに「左翼」ではないのである。
宮台が批判するような構造は、たしかに左翼勢力のなかでも強固であると思うが、左翼性自体と特に結びついているものではない。そのことは、宮台や小林も認めるだろう。
この構造は、「日本では保守にも、左翼にも共通してみられる」と言っているわけだから。


もちろん、ここで言いたいのは、左翼性を救済することではなくて、上に書いた「土台」の部分が肝心だということであり、そこからもたらされる「動揺」こそが大事だろう、という話である。
小林よしのりが沖縄に行って感じたという驚きや戸惑いや憤りのなかには、そういう根っこのようなものがあったように思うのだが、宮台の整理によって、そこに蓋がされ、分かりやすい図式のなかに収まってしまった、という感じがした。
宮台は、彼の批判対象を「左翼」という形で大きくくくってしまうことにより、その根っこの部分の扱いにくさを洗い流してしまっているように思われるのである。