『日本にとって沖縄とは何か』



辺野古新基地が建設された場合、そして阻止された場合の二つをイメージしてみれば明らかなように、辺野古新基地建設が阻止できるか否かは、沖縄のみならず、日本の、そして世界の、少なくとも東アジアの将来を左右する。(p214)

遠い将来をどのように思い描くにせよ、辺野古新基地阻止を、集団的自衛権容認や新しい軍事基地建設による抑止力強化(軍拡競争)に抗う日本国民に突き付けられた眼前の実践的課題として捉えることが、必要なのではあるまいか。そしてそれこそが、構造的沖縄差別克服の第一歩になるだろう。(p215)

著者は、敗戦以後の日本(ヤマト)と沖縄の歴史を振り返り、日本の社会(平和)運動には常に沖縄の存在に対する意識が欠落していたことを指摘する。
50年代の反基地闘争、60年安保闘争、70年安保闘争と、それは変わらず、現在もなお、そのことが克服されたとは思われない。
沖縄の存在が見えていないということは、日本国民が、自分たち自身の政治的現実を自覚できていないということ、より正確にいえば、あえて目をそらしているということである。
なぜなら、日本国民にとっての政治的現実というものは、日米安保体制と呼ばれる世界支配の仕組みによって規定されているのだが、この日米安保体制を安定的に成立させているものこそ、著者が「構造的沖縄差別」と呼ぶ、沖縄に負担を押し付け、なおかつそれを自明のことと見なして問題視しないという、社会のあり方だからだ。


日本の運動や、日本国民一人一人が、沖縄に押しつけられたこの負担(基地の集中)から目をそらし続けているという事実は、日米安保という支配の仕組みが、いかにわれわれ日本国民の内面に根を下ろしたものであるかを示しているのである。
自らがアメリカ合衆国と日本によるアジア(民衆)支配の装置の一部として機能させられてしまうというこの仕組みを、沖縄自身が対象化する重要な契機となったのが、ベトナム戦争の経験だったということも、本書では語られている。
その自覚は、70年代初め、佐藤政権による「沖縄復帰」に名を借りた日米安保強化の企みに対する抵抗をつくり出すことにつながったが、結局、この企みを打ち破ることは出来なかった。その結果、沖縄でも「本土」でも、安保体制の自明化は、いっそう進行していくことになった。

沖縄返還は、七二年沖縄返還の政策反対闘争としての沖縄闘争の、そして安保反対闘争としての沖縄闘争の敗北の結果としてあった。(p73)

だが、この仕組みの根幹をなす「構造的沖縄差別」の(被害)当事者でもあった沖縄は、とくに95年の大規模な抵抗の動きを契機として、その構造がもたらす「痛み」を引き受け(この「痛み」は、沖縄戦琉球処分といった歴史上の経験につながっているものでもあるだろう)、日本の「右傾化」とアメリカ合衆国の世界戦略という現実のなかに置かれた自分たち自身の「現在」に向き合う力を獲得していく。
こうした高まりのなかで生じた07年の教科書検定をめぐる闘争について、著者はこう書いている。

教科書検定意見に直ちに反応できたか否かは、直接的戦争体験者の数の問題ではなく、現実感覚の差であった。歴史的体験は、現実の課題を通して、はじめて社会全体に共有化される。それが戦争体験の風化現象を押し戻す。(p134〜135)

そして、とりわけ、95年を契機に次第に本格化する辺野古新基地建設の策動に対する、人々の粘り強い闘いは、日米安保体制という、いわば支配と差別の構造の本丸に刃を突きつけるような闘いの地平を切り開くものだといえるだろう。
沖縄の民衆の、この闘いの刃は、日米安保体制を無自覚に内面化している、私たち自身にも突きつけられているのである。


この本を読んでいて印象深いのは、歴代の知事たちをはじめとする沖縄の政治家たちが、日米両国の権力によって圧迫され、翻弄され、ときに醜態をさらしたり、苦渋の決断を下したりする姿だ。
大田、仲井真、翁長といった知事たちは、その意味では本質的な違いはなく、むしろ強大な権力によって苦しめられ蔑まれてきた、沖縄の人々の姿の投影に過ぎないようにさえ思えてくる。
それに比して鮮明になるのは、抑圧者としての日本の政治家たちの、時代や党派を越えた同型性のようなものだ。
安倍政権の強権的な性格が異例であることは、本書のなかでも強調されている。だが、「対沖縄」という視点で見るとき、天皇や岸政権や佐藤政権は言わずもがな、橋本政権をはじめとする旧経世会系の自民党政権や、また民主党政権でさえ、その反民衆的な態度の酷さ・醜悪さにおいて選ぶところのないものだったということが、この本を読んでいると痛感されるのである。
このような感想が生まれるのは、ひとえに著者の、民衆の視線に定位した眼差しによるものだと思う。
侮蔑をはねのけ、外部からの支配を打ち破る真の主役は、民衆以外にはありえないという著者の信念が、本書を貫いている。それは逆に言うなら、歴史の最終的な責任を負うべきなのは、われわれ一人一人の民衆に他ならないという、厳しい思想の表明でもあるだろう。