『越境の時』を読みながら

まだ第2章までしか読んでないが、いま思ってることをメモ。

越境の時 一九六〇年代と在日 (集英社新書)

越境の時 一九六〇年代と在日 (集英社新書)

たとえば、次のような箇所には、ハッとさせられるし、おおいに共感もする。フランス留学中、アルジェリアの独立闘争とふかく関わることになった著者は、当時の心境をこう振り返る。

それと同時にこのような「民族責任」にふれた結果として、私自身も一つの重大な宿題を背負わされることになった。すなわち仮に日本人としての「民族責任」を問われる事態に直面したら、言いかえればもし日本人の名で抑圧する状況が存在したら、あるいは日本人でないということが抑圧される理由になるような状況があったならば、否応なしに抑圧者に組み込まれる自分はどうしたらよいのか?(p46)


「日本人でないということが抑圧される理由になるような状況」は、今日でも普通にあると思われるので、この著者の言葉は、もちろん重い。
だが、次のような言葉に接すると、少し違和感がのこる。

私が六〇年代にこうした「在日」の問題に注目したのは、彼らの存在が自ら望んだものではなくて、全面的に日本によって作られたものであるうえに、日本人でないということが彼らの権利を奪う口実になっていたからだ。言い換えれば、われわれは日本人である以上、どんな善意を持とうとも、存在自体で日々彼らを抑圧していることになる。(p50〜51)


第一センテンスについては、基本的に異論はない。また、個人的にはどんな善意を持とうとも相手を抑圧していることになる、という認識も正しいと思う。
問題は「日本人である以上」という一文である。
われわれが在日朝鮮人を抑圧していることになるのは、日本人(日本国民)という属性を持つからだろうか?
ぼくは、そうではなく、「日本人であるにも関わらず、この抑圧を取り除くための努力を(十分に)していない」ことに(いわば)罪がある、と考えるべきだと思う。
といっても、「抑圧を取り除くための努力をしている」ことによって、日本人である私の罪(責任)が免責されるということではない。「努力を十分にしている」と言い切れる人は、恐らくいないはずだから(そうであれば、差別はなくなってるはずだ)、実際には「日本人である」ということと、抑圧に責任があるということはイコールだと言ってよい。
だが、その理由は属性にあるのではなく、行動の如何にある。
そう考えるべきではないか。


それに関連して。
第2章でくわしく述べられている小松川事件の被告李珍宇だが、「夢を見ているような気分のままに犯行を犯してしまった」というような供述、独白は、今日テレビや新聞で報じられる事件の犯人である若者や少年たちの口から語られる内容となんら変わらない。
ぼくは、ファノンの言葉を引いて著者が書いているように、社会自体のもつ暴力が、その暴力を被る当の人のなかに暴力を植えつけるということ、だから『怪物はその社会の方なのだ』という認識は、基本的に正しいと思う。
とすると、かつて李珍宇のような人をとらえていた「社会の暴力」と同じものが、いまは日本中の多くの若者や少年、いや、中高年も含めて、「普通の人たち」にあまねく加えられている時代、と言えるのではないか。小松川事件の犯行が、ここで語られているように被告が在日朝鮮人であったことと深く結びついていたのかどうかは分からないが、言えることは、現在は日本中の誰もが「李珍宇」になりうる時代だということである。
もちろん、かつて同様の「社会の暴力」を受けていた在日朝鮮人のなかから、一人の「李珍宇」しか出なかったように、現在「社会の暴力」にさらされている多くの人々の大半は、それを耐え忍ぶか、別の方向へとその「力」を差し向けるのだろうが。


いずれにせよ、ここでひとつ言えることは、「在日朝鮮人」なり「日本人」なりという属性を持つということと、その属性がある社会のなかで差別や貧困などの社会の暴力の対象になるということとは、区別されるべきであるということだ。属性それ自体でなく、その属性(や、他の何らかの属性)が、「社会の暴力」(権力ってことかな?)の対象とされる、その具体的な仕組みや働きのようなものこそが重要なのだ。
現在でも、在日朝鮮人に対する差別はもちろんあるが、その形態が変わったのである。60年代とは異なり、現在の形態においては、「社会の暴力」は、国籍や民族によるものとは別に、あるいはそれと重なりながら、「日本人」の多くをも、その対象とするようになった。そう言えるのではないかと思う。
どちらの時代の差別や「社会の暴力」が、より深刻なものかは、容易に決められないだろう。