『越境の時』を叱る

越境の時 一九六〇年代と在日 (集英社新書)

越境の時 一九六〇年代と在日 (集英社新書)

読んでるうちにだんだん腹が立ってきて、勢いで一気に読み終わった。
「たしかにすごいなあ」「見習いたいなあ」という思いと、「それは違うやろ」という思いとが、相半ばする本である。
優れたところは、たぶん他の人が書いてると思うので、ぼくはもっぱら不満を書く。


本書の眼目といえるのは、有名な金嬉老の事件と裁判闘争に深く関わった著者の体験をつづった第4章と第5章である。
事件の発生を知ったときの心境を、たとえば著者はこう書いている。

しかし私には、日本人であるというだけで、私たちはいつ何時でも同じように「人質」にされうるのではないかと思われた。彼らはいわば私の身代わりである。(p152)


そして、

それと同時に私には、マスコミによって「ライフル魔」と呼ばれた「金岡安弘こと金嬉老(キムヒロ)」という人物の運命が気がかりだった。(p153)


抑圧や差別を受けて苦しんでいるものから見たとき、相手個人がどれほど善意の人であろうとも、抑圧者の集団に属しているということでは区別はない。金嬉老の行動を、「抑圧されたものの叫び」としてとらえるなら、その「暴力」を被るのが、鈴木道彦本人であっても、ぼく自身であっても、抑圧する側にいる以上それに文句はいえない。この鈴木の認識に、ぼくは震えながらも同意する。
抑圧や差別を被っている者には、抑圧してくるマジョリティーの集団や社会一般を憎悪する権利があるのだ。なぜなら、抑圧される側は、「抑圧される集団の一員である」というだけの理由で現に苦しめられているのだから。
他者である「抑圧されるもの」の視点から、事柄の全体、そして日本人である自分自身の位置を見定めようとする鈴木の姿勢は、恐ろしいほどに真摯であり、脱帽する他ない。
ここでたしかに、鈴木道彦はひとりの追いつめられ孤立した在日朝鮮人の側に立とうとしている、と思える。


しかしたとえば、次のような箇所を読むとき、その姿勢に少し疑問が生じてくる。
事件発生直後に東急ホテルのロビーで行われた知識人、ジャーナリストや弁護士たちの話し合いの場で、金嬉老への「呼びかけ」ということに関して、著者は自分の意見を次のように述べたというのだ。

私は、もし「呼びかけ」をするにしても、生きのびてくれというのは自首=逮捕を勧めるにも等しいから、彼の生死については何も言うべきでない、むしろ、仮に彼が死んでもわれわれは彼の主張を生かすべくつとめるし、万一逮捕されて裁判になった場合には法廷で彼を支える用意があることを伝えるべきだ、と主張した。(p155)


簡単に言って、ここでは本人の命より、彼の「主張」の方が重視されている。「生きのびてくれ」と呼びかけることが、事実上逮捕を勧めることになるという判断は当たっているのだろうが、問題なのは、金嬉老本人の中で、「彼の主張」と鈴木が呼ぶものが、どれだけのウエイトを占めているのか、それを判断しているのは、結局鈴木自身でしかなく、鈴木の「想像力」でしかない、ということである。
鈴木の、この命がけの思想や倫理のなかで、金嬉老という具体的な他人の、何かが消されている。ぼくは、そう思う。


こうした点について、鈴木は、金嬉老裁判のための作業を進めるなかで、自分のなかにふたつの「気がかり」があった、と書いている。

第一点は最初から頭を離れなかったもので、在日朝鮮人のおかれたこのうえもなく困難な状況が日本社会によって作られている以上、抑圧者に属する当の日本人がそれを理解するというのは不遜ではないか、ということだった。しかし私が敢えて「越境」してその内面をも想像の対象としないかぎり何も始まらないと考えたことは、小松川事件について書いた章でも述べた通りである。(p202)


他者の内面を想像することによって「越境」しようとしたこと自体は、決して「不遜」ではないと思う。鈴木の過ちは、自分の想像の枠のなかに、目の前の他人をすっかりとりこもうとしたこと、そこに当てはまらない他人を「理解不能な存在」として排除するまでに至ったことである。
これが、彼の言うふたつめの「気がかり」に関わる。つまり鈴木によれば、金嬉老の行動(犯行)を、在日朝鮮人としての彼が、社会の矛盾ゆえにやむをえずそこに追い込まれた結果ととらえて弁護することが、結果的に金嬉老当人の「主体を危うくする」ことになってしまったというのである。
持って回った言い方だが、結局のところ、書かれていることは、裁判の過程で付き合っていくうちに、被告本人が鈴木が思い描いていたような、自分の行動の責任をきちんととり、それと引き換えに日本社会の不正を告発する「主体」的な在日朝鮮人ではなく、鈴木の目から見れば責任を他人や社会に押し付けて自分は逃れようとするような非「主体」的な人間でしかないことが分かった、ということである。
しかし、これはおかしい。金嬉老の姿に、そのような「反抗する主体」の像を当てはめたのは、いわば鈴木の勝手である。鈴木のこうした一種の理想像は、小松川事件の李珍宇から来ているというが、もちろん鈴木は一度も李には会ったことがなく、すでに死んでしまった人間であるから、鈴木の作り出したイメージを裏切ることがないというだけのことだ。鈴木自身も書いているように、生きている人間はそうはいかない。
金嬉老の行動が鈴木の言うように、日本社会のひずみや不正を反映するものであり、のみならずそれに対するぎりぎりの反抗という意味合いを持っていたとしても(ぼくも、そうだとは思うが)、それは金嬉老が、すべての面で鈴木が思い描くような理想的な「反抗する主体」であることを意味しない。ほんとうにどうにもならない人間の屑のような面も、逃げてばかりいる自分勝手で狡猾な男という面もあったであろう。そのことと、鈴木が考えるような金嬉老の行動の社会的な位置づけとは、なんら矛盾しない。
そしてそういうひとりの抑圧された人間を、鈴木たちは命がけで守ろうとしたのではなかったのか?


責任逃れに聞こえるような言動を繰り返す金嬉老を問い詰める著者に、金は不快な顔で『あなたの言うことは「権力者の言葉」と同じだ』と答えたという。
鈴木はそれについて、鈴木がもし在日朝鮮人だったなら、金はそのように言わなかっただろうと言っているが、そうではなかろう。金嬉老が批判したかったのは、自分の思想や理念に都合のいいイメージのなかで生きることを弱者に強いてくる人間としての「権力者」というものである。その相手が日本人だろうが、在日朝鮮人だろうが、「人間金嬉老」を認めようとしないものに対しては、彼は同じ不快な顔で同じ言葉を返したはずだ。


著者はこうして、以後は裁判の過程においても、金嬉老という理解不能な存在とのコミュニケーションの可能性を閉ざしてしまう。そのことへの反省は見られない。
あげくのはてに、彼は、次のように書くのである。

(前略)だが仮に告発の言葉がどんなに正当でも、すべての責任を他者に負わせる形でなされる告発は、必ず退廃を招かずにはいないだろう。また告発を受けた側がただ相手の言葉を無条件に認めるだけでは、そうした反省がかえって告発する者をいっそう巧妙に呪縛して、その主体をだめにする危険もはらんでいる。そうした難問に、私は最初のうち、まったく備えを欠いていた。それが見えてきたのは金嬉老との苦いつきあいのおかげだった。私はこれを通じて、加害と被害、抑圧と被抑圧、差別と被差別、といった枠組みだけでは、民族責任などと言ってもまだ不十分であること、そこに同時に他者の主体と向き合う努力が必要とされることを知ったのである。(p213)


こうして、やがて鈴木は、在日朝鮮人をめぐる行動の現場からすっかり身を引いてしまうことになる。
理想的な「主体」のイメージに当てはまらない金嬉老に関する記述はさっさと終えて(排除して)、第5章の後半では回顧的な「運動自慢」に終始しているのには唖然とするばかりだ。なるほど、これが60年代の「運動」か、と思う。
いったい、最初に自分が、自分の理想に合うように他者の像を作り上げておき、運動の過程でそれに現実の他人が合わないからといって、態度を一変させてしまうのなら、これは鈴木自身が『今ではまったく逆の立場のナショナリストに変身してしまった』と書いている、当時の裁判闘争の立役者の一人、佐藤勝巳の「変身」とどう違うのだろうか?
ぼくには上の引用文(p213)などは、佐藤その人が書いたもののようにさえ思えるのである。