アフガニスタンでの事件の報道を見ていて

アフガンで亡くなった伊藤さんという方についての報道をいくつか見聞きしてるが、どこのテレビ局だったか忘れたけど、ひとつ「ひどいなあ」と思ったものがある。


それは、「(伊藤さんたち)ペシャワール会などのNGOが行っている支援は、飢餓や貧困を無くすことで、遠まわしにテロの撲滅にもつながっている」という言い回しだ。
こんな言い方がされたのでは、きっと死んだ本人も浮かばれないだろう。
支援を行って飢餓や貧困を無くすという、「目的」であるべきものが、「テロの撲滅」とやらいう事柄の手段みたいに扱われてるからである。
「テロの撲滅」という言葉の裏にあるのは、どんな理由(飢餓や貧困)があろうと、「テロリスト」と見なされるような連中は、すべて地上から抹殺するべきだという思想だ。つまりそれは、テロ行為の原因になるような困難な状況を解消・減少させて現地の人たちを救うことによって、(その結果として)テロが行われることのないような社会を作ろうということではなく、現在の世界の支配的な秩序を脅かすような連中(テロリスト)を根絶することに主眼を置くような考えである。
「テロ(テロリスト)の撲滅」ということが主眼にあり、飢餓や貧困から現地の人たちを救うことは、その手段としてはじめて価値を評価される。
上の言い回しに感じとられるのは、そういう発想である。


それは、「テロリスト」というレッテルを貼ることで、殺され、除去されるのが当然である種類の人たちの存在を、この世のなかに規定するような発想である。
つまり、「命」というものの価値を、そこに区別を設けることによって、根本的に否定しているのである。
ペシャワール会のような組織の人たちの活動、おそらく伊藤さんという方の行動の根にあったものと、これは相容れないものだろう。
こうした活動は、「そこに忘れられ、危機に晒されている命があるなら、誰であっても救わねばならない」というような切迫した気持ちに裏打ちされてるに違いないと思うからだ。


生きる価値を当然に否定されてもよい種類の人間が、この世に存在するという考えが、たとえばアフガンへの空爆を生じさせた。
伊藤さんたちの活動は、そうした忌むべき思想、考えへの反対、異議、克服としてあったし、今もあるはずである。
どこに生きる誰であっても、尊重されるべきでない命などない、という信念や思いが、そこにあるのだと思う。
これは、「テロの撲滅」という、「命」の現実的な価値の否定・否認の上に立った、悪い意味の公的な論理の言葉がもつ空虚さ、非人間性とは、決して相容れないもののはずだ。


今回、伊藤さんの命を奪った人々が、上記の「生きる価値を当然に否定されてもよい種類の人間が、この世に存在する」という考えを、(空爆の実行者たちと)共有する人々であるかも知れないという事実は、大変残念であると、ぼくなどが思うよりも、伊藤さんや、その仲間の人たちこそ、強く思ったし、思っているであろう。
それだからこそ、不当なわれわれのこの世界の現実のなかで、現に苦しんでいる現地の人たちを、見殺しにできない、協力・支援したいと、いっそう強く念じているだろう。
日本政府のやってきたこと、今やろうとしていることを考えれば、この忌むべき「生の否定の論理」に対抗して、アフガンの人々を救いうる行動がなせるのは、こうした民間の活動を行っている人たち以外にないことを、本人たちが、きっと誰よりも実感しているだろうと思うからだ。


夜7時のNHKのニュースでは、ペシャワール会中村哲さんが、アフガンの空港のような場所で、英語でインタビューに答えている姿が映っていた。
さっきNHKのサイトで探して、見つけ出せなかったのだが、たしかこういう意味のことを語っていた。
「アフガンでは膨大な数の人命が失われた。そして最近では、外国からのNGOなどにも、その被害が及ぶようになった。だが、そのことについて、アフガニスタンの政府や国民に不満を言うつもりはない。」
この「膨大な人命」というのは、(少なくとも)空爆開始以後のアフガンの民衆の死のことを言っているのだと思う。
それは、われわれ(ぼくたち)が見殺しにした命の数である。
私(たち)は、その数を、これ以上増やすわけにはいかないのだという、そういう中村さんの決意が、そこでは述べられていたのだ、と思う。


ぼくは、自分がアフガンのような場所に行って行動できるわけでもないので、今後のNGOなどの活動について、あれこれ言える立場ではない。
ただ、どうしても言いたいのは、この人たちの気持ちと活動を、現在の日本の国家・政府や、アメリカをはじめとする世界的な秩序の論理によって覆い隠し、圧殺するようなことを許してはいけない、ということである。
無条件に奪われてよい、見殺しや犠牲にされてよい命などないという、ぼくたち自身にとっても最もかけがえのない思想の生きた姿が、そこに現れていると思うからだ。


関連記事アフガニスタンの事態について
http://tu-ta.at.webry.info/200808/article_27.html