差異と歴史

書いたように10日の日曜日、大阪市で行われた『東アジア共同歴史教材合評会』という歴史教科書についての学習会に行き、話を聞いた。数十人の人が来ていたが、たぶん僕以外は、みな歴史研究者の人だったのではないかと思う。しかし、素人にも興味深く聞ける、たいへん面白い内容の報告と議論だった。
以下、この会の報告ということではないが、簡単に感想を書いておきたい。


今回題材となったのは、最近出版された下の二つの多国間共通歴史教材である。

日中韓3国共通歴史教材委員会/編著

『未来をひらく歴史 ―日本・中国・韓国

 =共同編集 東アジア3国の近現代史』(高文研、2005年5月)

◇日韓「女性」共同歴史教材編纂委員会編

ジェンダーの視点からみる日韓近現代史』(梨の木舎、2005年10月)


この日は、この二つの本の共同執筆にそれぞれたずさわられた二名の方(笠原さん、冨田さん)と、それ以外の立場からの三名の方による報告が行われたあと、パネラーと会場とのディスカッションが展開された。
予想できるように、二つの共通教材のいずれにおいても、その製作の過程は、各国の研究者の間での、歴史認識や方法論をめぐる相違、差異が浮き彫りとなり、激しい衝突の連続だったようである。
いま「予想できるように」と書いたが、ちょっと考えると、この本の執筆にたずさわったような歴史研究者たちは、日本のなかでは、中国や韓国の研究者と一番衝突がおきにくいような考え方の人たちだとも思えるので、それでもそれだけの衝突が起きたというのは、意外である気もする。
たとえば、笠原氏のレジュメのなかに、共同作業の過程をとおして、それぞれの国の研究者が『色濃いナショナリズム史観、つまり民族主義意識に基づいた歴史の見方をしており、従来および現行の国民国家史を基軸にした自国史中心主義から自由でなかった』ことが分かったとあるが、これは決して韓国や中国の研究者のみに向けられた批判ではなく、笠原氏を含む日本側の自省の言葉として読むべきだろう。こう自省しているのが、たとえば西尾幹二氏や藤岡信勝氏ではなく、笠原十九司氏なのだから、まあ意外といえば意外だろう(もっとも、西尾氏や藤岡氏がこう言ったのなら、それよりはるかに驚くが)。


報告された方たちのお話を聞いてみると、またその後の議論を聞いた限りでは、そうした「差異」を自覚する過程をとおして作られた今回の教材の内容については、今後改良していくべき点が多くある、ということだった。
議論のなかでは、そのようにして浮き彫りになった「差異」を、受け手である読者(生徒)にどのように伝えていくかということが見えにくい、との指摘も出されていた(京都大学の水野直樹さんの発言は、そういう趣旨であったように聞いた)。
ここでは、各国共同で歴史教材を作るにあたっての、「差異」という言葉の意味、そして「差異」がもちうる働きについて、少し整理して考える必要があるだろう。


この場合、「差異が明確になった」ということは、たんに、それぞれの国により、執筆者の間での認識や方法論の違いが明らかになったということでは、必ずしもなかろう。
それを「差異」と呼ぶのなら、同じ国の研究者同士の間で、もっと大きな差異があるだろうことを、ぼくらは知っている。だが、たとえば、まったく異なる「歴史観」をもつ同じ国の研究者同士が激しく議論を戦わせたとしても、ここでいう「差異」というものは滅多に見えてこない。
ここで「差異」と呼ばれているものは、言説の主体である書き手や読み手が、無意識のうちにとらわれている自分のナショナルな思考の枠組みに気づくこと、それ自体を指しているからである。
各国共同で歴史教材を作ろうとすることの、もっとも大きな意義はそこにあるのではないか。
だとすると、お互いの異なった考えを併記したような教材を作ったり、それらを総合したような「歴史観」にもとづく記述を行っても、それだけでは、そこで一度浮き彫りになったはずの「差異」が消されてしまっているということがありうる。一番大事な意義が損なわれているわけである。
議論のなかで出されていた批判の意味は、そのへんにあったのではないかと思う。


もう少し考えてみよう。
「各国共通」という「国」に単位を置いた共同作業のあり方の強調が有効なのは、個々の研究者が、現実にナショナルな枠組みにとらわれているからである。「右派」とか「左派」とかいうこととは、原理上、これは別であろう。
同様に、「ジェンダーの視点から」という強調が意味を持っているのは、人々が、とりわけ(この場合には)歴史研究自体が、まだジェンダー的な抑圧の枠組みに現実にとらわれているからだろう。
こうした、主体の自己がとらわれている無意識の枠組みを明るみに出すために必要なもの、それは「他者の視点の導入」ということだ。これが、「差異」という言葉の、もっとも強い意味、絶対的な差異ということだと思う。
各国共同で歴史教材を作るという作業は、そのことを可能にするものであるし、「ジェンダーの視点から」歴史記述を行うという意義も、そこにあろう。
たとえば、いわゆる「左派」の歴史研究者は、日本の研究者の間だけで議論をしていたら、自分がナショナルな枠組みにとらわれているということに、なかなか気づきにくいだろう。だが、他の国の人たちとぶつかり合ったとき、「日本の研究者」という眼差しで見られ、そのことに反発したり自問したりするうちに、その人は自分をとらえている枠組みに徐々に気づくのであろうと思う。それは、「他者の視点」をとおしてしか、自分の存在の現実的なあり方は発見できないからである。
たとえば国による歴史観の違いといった相対的な差異の確認が、それだけで重要であるのではなく、自己の思考の自明性を揺るがして、自己を政治的・歴史的現実のなかに連れ戻すような体験、それを伝えていくということが大事なのだ。


ここまで書いてきたことは、笠原氏や水野氏をはじめ、現場で歴史研究や共同作業にあたられている専門家の方々には、もちろん自明のことであろう。
とくに『未来をひらく歴史』に関しては、明らかになった差異を踏まえて、さらに新たな展開が始められているとの詳しい報告が、笠原氏からもあった。
とくに今のような社会・政治の状況のなかで、大小を問わず、このような共同的な実践が重ねられていくこと自体に、なにものにもまさる「歴史的」な意義があると思う。
そこで得られた貴重な体験を、次世代へ、そして社会のより広い範囲の人たちへ、どう伝えていくのか。この難しい課題は、じつはぼく自身も共有しなければならないものなのである。