男親について

幼い子どものいる友人と飲んで話をしていて、やはり女親には勝てないという話になった。彼がどんなに子どもを大事にして可愛がっても、結局は母親のところに行ってしまう。母親でなければ最終的に子どもは安心しない。
育ってくるにつれて、子どもへの情愛が深かったぶんだけ、その寂しさがだんだん耐え難くなり、すごい虚しい気持ちになってくるんだそうだ。「結局は、母さんなんだろう」という、すねたような気持ち。


ぼくには子どもがないのでわからないが、自分の子どもの頃を思い出すと、まあ子ども、とくに男の子はそうだろうなあと思う。女の子はどうなんだろう?
この「すねたような気持ち」は、やはり嫉妬だと思うが、すごく人間ぽい感じがして分かりやすい。嫉妬という感情のひとつの原型に触れるような感じがする。嫉妬といっても、「所有」とは、ちょっとずれたところにある感情だ。
まあ、子どもに対して情が深いことの裏返しとして、こういう感情が起きるわけだ。


でも、男親というのは、子どもの性別に関わらず、根本的にこういう寂しさを抱えているのかなあ、とも思う。
いいか悪いか分からないが、男というのはそういうもので、という感じは多くの人がもってるだろう。
この友だちの話を聞いて思い出したのだが、ぼくは小さい頃から、父親があまり家におらず母親と二人で暮らす時期が長かったこともあり、学校に行くようになって「不登校」になったり、色々と親を困らせだした頃、父親は打つ手がなくなってくると、決まって母親に「お前の育て方が悪いんじゃないか」と矛先を向けるのが癖になっていた。


最近気がついたのだが、これはひとつには、ぼくと母親の関係が強すぎることに対する嫉妬が混じっていたのではないかと思う。そう思ったとき、はっとするものがあった。
嫉妬といっても、これは友だちが話していたようなプリミティブな感情とはやや違って、もっと私的というか、エディプス的な感情であるかもしれない。
でもそこにも、男親特有の何かがあったのかもしれないと、今になって思う。
あまりそんなことを考えずに、この年まで生きてきたのである。