「強制連行」という言葉について

朝鮮総連に関することをとりあげた先日のこのエントリーのコメント欄で、在日朝鮮人が日本に来た理由ということをめぐって、「強制連行」ということが話題になった。また、『朝鮮人の大多数は自らの意志で渡航した。』とのご意見もあった。ちょうど、そうしたことに関連する催しの告知をサイトのトップに掲載したことでもあるので、こうした点について、ぼくのいま考えていることを書いておきたい。


じつは、「強制連行」という言葉の正確な定義自体、というか由来についても、ぼくにはよく分からない。
朝鮮人を日本の政府なり軍なり企業なりが強制的に連れてくる、この「強制」という言葉の意味合いが問題だが、そういうことがあったことは間違いないだろう。しかし、どこまでを「強制連行」と呼べばよいのか、その対象者はどのぐらいいたのか、そこは分からない。
それから、「強制連行」という言葉自体が、たとえば「強制収容所」という言葉を連想させる、特殊な響きがある。そのぐらいひどい支配があり、犠牲者が出たことは間違いないのだが、それだけになおさら、この言葉を正確に使う必要があるだろうと思う。


また、この言葉を厳密に定義するなら、いまの在日朝鮮人やその祖先にあたる人たちの日本への渡航理由としては、それほど主要なものではなかっただろうとも思う。在日の問題と、厳密な意味での(それが確定できればだが)「強制連行」とは、一応別に考えたほうがいいのではないかとかんがえる。
日本のいわゆる左派の研究者のなかにも、朝鮮人が日本に来た理由について、「強制連行」ということをどこまで強調するべきか、「自分の意志」という部分を軽視してよいのかという点については、色々な考えがあるだろう。


ぼくは、いまこう感じている。
「強制連行」というのは、何かを定義する言葉であるよりも、日本の朝鮮(半島)に対する支配の性格、いや、朝鮮と日本とのある時代の関係のあり方を示す言葉と、かんがえた方がいいのではないか。少なくとも、その面があることをかんがえに含んでおくべきではないか。
当時日本は朝鮮を支配していて、その支配の下で朝鮮の人たちは苦しい生活を強いられていた。農地制度を変えて小作農が土地を失ってしまうようにしたり、いわゆる「創氏改名」をやったり、ともかく異民族の支配者として振舞っていた。
「自分の意志」で来たといっても、その状況のなかで、支配者の本国である日本にやってきたのである。その思いのなかには、言葉で表わせないものがあっただろう。
その重要な部分をなしていたのは、たぶん、支配されている当の相手の国に来たということだ。
「自分の意志」であっても、そこにはそもそもの初めから「強いられた」生という感情があり、その強いてくる当の相手の国にやってきたという苦い思いがあったと思う。


よく、「日本に併合されず、朝鮮王朝や大韓帝国のままだったら、民衆はもっと悲惨だったのではないか」という仮説を言う人がいる。しかし、「支配される」ということは、そういうことではない。言い換えると、そういう客観的な想定や想像をする能力さえ奪ってしまうということ、人を不合理な憤怒や悲嘆や怨嗟のなかに追いやるということ、それが「他民族を支配する」という暴力の本質なのだ。
そういう客観的で冷静な仮説が考えられる位置にいる自分と、その位置に立てない相手との間にある差異、その差異を作り出した暴力についての自覚が、こうしたことを言う人たちには欠けている。
「日本はこんなよいことも朝鮮でしたではないか」という前に、溝の向こう側に立っている他人が受けた傷の深さを考えてみる余裕を欠いているのだ。
「強制連行」という言葉の定義そのものは曖昧でも、その語にこめられているのは、支配される屈辱のなかで苦しんだ人たちの記憶、集団的な記憶のようなものだろう。


かつて日本の支配下にあった時代に、理由はどうあれ、その日本に来て差別や貧困のなかで苦しい生活を営み、なかには非業の死を遂げた人たちの、朝鮮半島に住む縁者、子孫の人たち、また日本で戦後も暮らし続けた在日の人たちであればなおさら、その思い、心の傷、集団的な記憶の闇は深いだろう。
「強制連行」という言葉の、ときに非合理にさえ響く重さ、かげりは、問い詰める激しさや硬さ以上に、その悲嘆の深さを示しているのだと思う。それは基本的には、他人を突き放す強い叫びではなく、離れてしまった他者を呼び求め、赦しや和解を願う人間の肉声だ。


たとえば、韓国の政治家や運動家が、在日朝鮮人を含む日本に関わった朝鮮人の歴史のすべてをこの「強制連行」という言葉のみによって語ろうとするのを聞くと、ぼく自身も異様な感じを受ける。そして、その弊害の大きさを心配する。
だが、そこに強引な、もしくは安易な言葉の使用があることは批判するべきだとしても、その前に、少なくともそれと同時に、「強制連行」という靄(もや)のような言葉に込められた、韓国人、朝鮮人の、集団的な心の傷の深さを、想像する必要があるのではないか。
またそこに、見えない溝を越えて、生きた他人の言葉を聞き取る人間本来の能力の回復を賭けるべきではないか。


それは、他人のためばかりではない。
戦後数十年の歴史の果てに、「市場」という、国家によって設定され保障された枠組みのなかでしか「自由」や「自由意志」をかんがえることのできなくなった、ぼくたち自身の狭められた生のなかに、「集団」や「歴史」という外部を繰り込むため、つまり他者の存在を導入するために、そうするべきなのだ。