東アジア共同ワークショップのご案内

北海道での朝鮮人などの強制労働犠牲者の遺骨発掘を契機として、1997年に始まった東アジア共同ワークショップ。
今年は、8月19日(水)から23日(日)まで、大阪・滋賀・京都を舞台として関西で開催されます。
内容は、民族教育、在日コリアンの歴史と現在、労働と貧困(釜ヶ崎)、キャンプ地である滋賀の近現代史などをテーマにしたFWや、辺野古問題についての学習会、岡真理さんの講演など盛り沢山です。また今回は、親子ワークショップなど、これまでにない取り組みも行う予定です。是非、ご参加ください。
http://eastasianworkshop.jimdo.com/

(文末に、私個人の所感を付け加えます。)

 東アジア共同ワークショップ2015 in 関西
【日程】
 2015年8月19日(水)〜23日(日) in 大阪,滋賀,京都
   
【開催趣旨】
「境界線を越える」

 1997年8月、北海道幌加内町朱鞠内に日本・韓国・在日コリアンアイヌの若者たちが集い、
8日間に渡る共同ワークショップが開催されました。それは、戦時中の鉄道工事、ダム工事で
犠牲となった朝鮮人・日本人の遺骨を共同で発掘し、共に歴史の真実に触れ、語りあうという
画期的な取り組みでした。「東アジア共同ワークショップ」(以下ワークショップ)の始まりです。
以来今日まで、北海道各地での発掘や、韓国での体験者や遺族の調査、遺骨の返還と、
共同の営みは毎年開催地を変えながら、夏と冬に出会いの場を創造してきました。

 ワークショップ18年の延べ参加者は3,000人以上にのぼり、世代や民族を越えて人々が
和解の出会いを続けています。この夏は、開催地を関西に移し、フィールドワークや学習会を通して、
私たちの日常の生をどう社会に接続させていくかということを大きなテーマにしています。
戦後70年の今年、「戦争」がもたらす被害、「平和」の尊さを考える上で、先ずは身近な社会問題を
自身のことと捉え考える体験が必要だと考えるからです。

 現在の東アジアの国際的な緊張関係は、この地域に暮らす人々にも暗い影響を与えています。
日本では日々ネット上で他者、とりわけマイノリティーを標的にした排他的な言葉や人々の対立を
煽る書き込みが溢れ、街中では在日コリアンに対するヘイトスピーチが繰り広げられています。
このような排他的な言動により、いま私たちが暮らす社会に、人々を引き裂く差別という境界線が
敷かれようとしています。それは、在日コリアンをはじめとする外国人や他民族に対する差別だけで
なく、狭量な保守性は社会的立場の弱い様々なマイノリティーや、平和を望む市民に対しも同様に
攻撃を強めています。日本人と外国人、男と女、健常者と障碍者性的少数者、また収入格差に
よる富と貧困、地域では米軍基地の集中する沖縄や原発による放射能汚染地域など、目に見える
ことから目に見えにくいことまで。日々の生活の中で目を背けている様々な事柄について、
立ち止まって考えてみる必要が今あるのではないでしょうか。この度のワークショップでは
子どもから大人まで、多様な人々が見て・聞いて・体感し、語ることを通して、共に境界線を
越えることを目指します。

 差別・偏見・排他意識が辿り着く先は暴力であり、=戦争へと進む道になります。
 ワークショップの特徴は人と人の出会いです。ネット社会だけでは決して成熟できない
本物の人間関係の構築こそがワークショップの強みでもあり、継続の力です。
暴力が支配する社会の到来を私たちは望みません。
例え小さな力でも、人と人がつながる強さを信じ、その可能性をワークショップは追求します。

この夏、関西で新たな出会いがあなたを待っています。
                                             「東アジア共同ワークショップ」実行委員会
   
【一般参加者 プログラム】
19日(水) 夜 
      内容: 開会式・基調講演
          講演者:殿平 善彦
          強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム共同代表
      場所: 生野KCC会館
           〒544-0032 大阪市生野区中川西2-6-10
       宿泊: 生野KCC会館 他

20日(木) 全日 
      内容: テーマ別フィールドワーク(FW)  以下5コースの内1つ選択
           戦中・戦後のマイノリティーの歩みから、自分と他者の関係について考える。
     テーマ: 民族教育,在日コリアンの歴史、労働と貧困他

  1 子どもの人権と民族教育(大阪)
  戦後、解放され日本に残った朝鮮の人々が奪われた言葉や文化を子どもたちに伝えるため、全国に朝鮮学校民族学校を作りました。
  また、様々な理由で公立学校に通う子ども達の学びの場である民族学級。時代とともに民族教育の現場は変化し、子ども達の背景も変わってきました。
  朝鮮学校民族学校民族学級を訪問し、現場から見える歴史や今後の課題を考えます。

  2 猪飼野フィールドワーク(大阪)
  生野コリアタウンを中心に、在日朝鮮人の日本一sの集住地を歩きます。そのには在日100年の歴史が息づいているとともに、1600年前の渡来人の
  足跡も多数みられます。目に見えるものだけでなく、見えないものも感じ取りながら、なぜ「この地」であったのかを考え、「共生」について考えます。

  3 植民地期における女性の労働運動(大阪)
  朝鮮人を大量に雇用したことで有名な岸和田紡績工場と関連施設の跡地をmわり、その過酷な労働実態を知るとともに、女工たちが立ち上がった
  大規模ストライキの歴史をたどります。また被差別部落や沖縄出身の女工たちの労働史も学び、植民地と女性労働について考えます。

  4 在日コリアンの変わらない差別の過去と現状(京都)
  宇治市にある”ウトロ”は、戦時中飛行場建設に従事した朝鮮人労働者が飯場として住んでいました。未だに解決されない住環境を訪ね、
  そこで何を感じるのか。また、日本全国でも大きな問題となった旧京都朝鮮第一初級学校への”ヘイトスピーチ”とその戦いについて、
  裁判で勝ち得た計なども踏まえ意義を考えます。

  5 釜ヶ崎を歩く〜貧困・労働と差別のまなざし(大阪)
  西成区にある日雇い労働者の町・釜ヶ崎と、西成公園テント村を訪ねます。目に見える貧困の背景には、戦前・戦後日本社会がつくられてきた歴史と
  様々な差別が絡み合っています。この街はどうしてできたのか、労働者たちはどこから来たのか、ここが今の私たちとどうやって繋がっている考えます。

    夜  
      内容: テーマ別ミーティング
      宿泊: ガリバー青少年旅行村 (滋賀)
           〒520-1142 滋賀県高島市鹿ケ瀬987-1

21日(金) 全日 
      内容: 全体FW、学習会
           滋賀歴史強制連行フィールドワーク
      講師: 河 かおる
          滋賀県立大学人間文化学部講師。朝鮮近代史専攻。特に植民地期の女性史。滋賀県在日朝鮮人史について研究。
     
       夜  
      内容:感想、意見交換会

22日(土) 午前 
       内容: 全体学習会?「沖縄 米軍基地建設の現状(仮)」
       講師: 藤本監督・影山監督
 
        午後 
       内容: 学習会? 
       講師: 岡 真理
            京都大学 現代アラブ文学、パレスチナ問題、第三世界フェミニズム

       創作ワークショップ (以降親子WSと共同)

        夜  
       内容: シュマリナイト「平和祈念コンサート」(キャンプファイヤー)

23日(日) 午前 
      内容: 閉会式
     
【親子参加者 プログラム】
21日(金) 午前  集合
     午後  オリエンテーリング 飯盒炊飯
      夜  映画鑑賞 など

22日(土) 午前 内容:自由時間、表現あそび

     午後 内容:平和学習、共同製作(工作)

     夜  内容:シュマリナイト「平和祈念コンサート」
           (キャンプファイヤー)

23日(日) 午前  閉会式
【注意点】
※プログラムは変更になる可能性があります
※部分参加も可能です。詳細はお問い合わせ若しくは参加申し込みでご確認ください
※20(木)のテーマ別フィールドワークは、5つの内1つのみ選択可
※一般と親子参加の各プログラムは並行で行うため両方参加は基本的にご遠慮頂きたく存じます
主催 「東アジア共同ワークショップ」2015・夏実行委員会

連絡先 ws2015kansai@gmail.com

【東アジア共同ワークショップ2015事務局】
ws2015kansai@gmail.com


さて、私自身、今回の開催の実行に関わってるんですが、せっかくなので、ここではその立場を離れて、ブログ主として自分個人の考えを、少しだけ書きます。
最近、漠然と思ってるのは、今の社会では言語的な領域(論理や認識の世界)と非言語的な領域(日常的な経験や感覚の世界)との照応関係のようなものが、うまく働いていないのではないかということです。
一個人の中において、この二つの領域が互いに互いを照らし合う関係がうまく成り立つには、きっと他者との出会いというものが必要だと思うのですが、そのことは、ネット空間においては実現しがたいのだろう。やはり直接会って、生活しながら同じ時間をすごすといったことが大事なのだろう。
私個人は、このワークショップを、そういう場としても位置付けています。
で、その意味では、色々な考え方や感じ方をもった人たちに参加してほしいということがあるのですが、ただひとつ言っておきたいのは、そうした時間を過ごす経験を通して、何か共通の意見や理解に達する必要はないだろう、ということです。
このワークショップは、始まった当初から、「和解」ということをテーマに掲げていますが、本当の意味での和解というのは、一時の雰囲気や必要性から、互いの現実的な差異や対立を曖昧にすることによって成り立つようなものではないであろう。
では、私たちが目指すべき本当の「和解」とは、またそれが可能になる条件としての経験というのは、どういうものか?
この先は、まだはっきりと言葉に出来ないのですが、とりあえず、以上のことだけを言っておきたいと思います。