免税措置について

朝鮮総連に対する免税措置と、その廃止の動きに関するぼくの意見は、きのうのエントリーのコメント欄に書いたようなことである。
この免税措置ということに関して、組織の圧力や行政との癒着による「既得権益」的なものとしてとらえ、根拠のないものであるから撤廃するべきだという考え方もあるだろう(実際、そういう判決を出した裁判所もある)。
だが、国の在日朝鮮人に対する政策の不十分さを考えれば、ぼくは地方自治体がとりうる手段として、この優遇には一定の正当性があったと思うわけだ。


在日朝鮮人のように歴史的・政治的な理由から不利益をこうむってきたと思われる集団が、国の政策によっては十分に救済されていないと考えられる場合、自治体などが、どのようにそれを補うべきかというのは、難しい問題だろう。
ここでは、きのうのコメント欄にあったように、この集団の利益を代表するとされる団体(つまり、ここでは朝鮮総連)の組織としての正当性のようなことも、やはり問題にならざるをえまい。
しかしそれ以前の問題として、行政における「公平さ」をどのようにかんがえるかということがあり、現在は、その考え方の基準が大きく変わりつつあるのではないかと思う。
簡単にいうと「行政改革」のようなことで、これまでは免税することが「公平さ」の実現と考えられたが、これからは免税しないことが「公平さ」の実現であるという立場をとる、という話だと思う。
つまり、「公平さ」の実現にあたってもう歴史的な文脈とかはあんまり考慮しません、という表明で、ぼくはどうかと思うが、行政の思想としては、こういうのもアリなんだろう。


だがそれならそれで、ちゃんとした手続きや議論を踏まえてやるべきで、今回のようなやり方というのは、「制裁」か、それに便乗しているかのどちらかとしか考えられない。
「合法性」というものを急に持ち出してきて、免税措置を続けない理由にしてるわけだが、やり方そのものが筋が通っていない。
「いじめ」と呼ばれても仕方がないと思う理由である。