『アルナの子どもたち』&岡真理さんのお話

この映画は、あまりにも多くのこと、重い事実が描かれているため、一度見ただけではちゃんとした感想をまとめることが不可能なように思った。
上映のあと、岡真理さんがスクリーンの前に立って話をされ、自分はこの作品を何度も見ているが、見るたびに感じるものが広がっていく、という意味のことを話されたのだが、分かる気がする。ただ、ぼくの場合は、「感じる」力があまりないことと、画面を見ながら考えることが拡散してしまうという性格、それから、描かれている事柄があまりにも遠近法を欠いているように思える(これは、題材がパレスチナのことであるためかどうか、分からない)ため、感動するというよりも、困惑とか衝撃という感じのほうが強かった。上映は7日までということだが、ぜひ、DVDなどであらためて見てみたい。
ともかく、たいへん特異な、そして強い印象を残すドキュメンタリーフィルムである。
(以下、すごいネタばれ)


この作品のタイトルになっているアルナという女性は、イスラエルに住むユダヤ人のおばあさんだが、占領地域であるジェニンというところで、パレスチナの子どもたちにオルタナティブな教育(これは、岡さんの表現を借りた)をするというプロジェクトに献身した人だ。
映画の前半は、彼女の息子であるこの作品の監督が、母と、パレスチナの子どもたちとの関わりや、活動の姿を追っていく映像でできている。
ぼくは最近、こういうタイプの映画をよく紹介してる気がするが、偶然か?


ところで、このオルタナティブな教育がどういうものかというと、イスラエルに長い年月にわたって占領され、日常的な暴力と抑圧のなかで育ち暮らしている子どもたちに、演劇などをとおして「怒り」を表現することを教え、それによって人間としての誇りをもって生きられるようにする、ということに主眼があるようだ。
この教育の場面は、たいへん強い衝撃を残す。「怒り」を表現する子どもたちの、押さえが利かないほどの激しさ、目にやどった憎しみの光の強さ。それはきっと、それまでこの子どもたちが受けてきた非人間的な暴力と抑圧による傷の深さを示しているのだろう。


映画では、この子どもたちの様子にかぶせられる形で、それから何年かがたち、若者となってイスラエル軍への抵抗に参加し、「自殺攻撃」を遂行したりして死んでいくこの子どもたちの「その後」が少しずつ描かれていく。
作品のなかに存在するこの時間の隔たりが、言葉にしにくい批評性のようなものを生じさせていて、見るものに問いを投げかけ、考えさせ、混乱させる。そんな印象をもった。


映画の後半では、まず癌によるアルナの死が印象深く語られ、ついで久しぶりにジェニンの町を訪れた監督(アルナの息子)が直面する、この若者たち(かつて監督自身の親友だった)の闘いと死と生の姿が克明に、そして重層的に描き出される。
この部分の迫力は、「圧倒的」という言葉に近い。
抵抗せずに抑圧のなかでの死と生を甘受するか、抵抗して暴力の代償としての誇りある死を迎えるか、ほとんどその二者択一になってしまっている人々の現実が、見る者の前に媒介物もなく突きつけられ放置される。
観客は、言葉を喪失して、ただスクリーンを見つめ続けるしかないのだ。自分のなかの空白を見つめるように。

この映画の「批評性」について

ところで、さきほど書いた「批評性」ということだが、これはこの映画への評価のひとつのポイントになる点だ。それは、アルナがおこなった教育のあり方、「怒り」の表現をとおして人間としての誇りを回復させるというやり方の評価にもかかわる。
これは、岡真理さんの話の中にも出てきたが、会場で配られた資料のなかに、この映画の監督であるジュリアノという人(アルナの息子)と、森達也との対談の抜粋が掲載されている。そのなかで森が、「アルナのプロジェクトによって教育された子どもたちのうちの大半が死んでいくわけだが、これは割合が高すぎないか?たんなる偶然だといえるのか?」という質問をしたのに対して、ジュリアノ監督は、「このプロジェクトは成功だった」と思う、と答えている。その理由は、アルナの教育を受けた子どもたちは、自分たちの権利のためには闘わなければならない(武装闘争に限らない)ということを学び、パレスチナの現実のなかで結果として「リーダーとして」戦い死んでいったからだ、ということのようだ。つまり、主体的に誇りをもって自らの人生を選択して生きることの大切さをアルナは教えたのであり、たまたま武装闘争を余儀なくされるような状況に立たされて、この若者たちはそうした主体性を抵抗闘争において発揮し、「リーダーとして」死んだ。そういう解釈になっている。
ぼくは、この監督の言葉というのは、非常に微妙なものだと思う。


まず、アルナが教えようとした「表現」とは武器をもって戦うことではなく、演劇などをとおした表現だった。もちろんそうだが、だからといって、「武装闘争」が偶然の外在的な選択であったとはいえないだろう。ぼくが思うのは、むしろアルナは、この子どもたちにとって武器による戦いが不可避であることを前提として、演劇などを教えていたのではないかということ、つまり、「演劇」は「暴力」のオルタナティブではなかったのではないか、ということだ。
たぶん、アルナは抵抗における「暴力」を否定はしなかった。パレスチナ人の置かれた状況を考えれば、それは当然とも思うが、問題は監督のジュリアノ氏が、その教育の成果を若者たちが「リーダーとして」死んでいった点にもとめた、ということだ。
これは、アルナが目指したものと同じなのか、違っているのか、即断できない。率直にいって、息子として、母が生涯をかけておこなった教育を否定するわけにはいかなかっただろうが、だとしてもこの肯定の仕方でいいのかどうか。


極論をいえば、ここでぼくが発してみたい問いは次のようになる。
つまり、主体的に選択し行動して死ぬことは、非主体的に行動してむかえる死よりも良いといえるのか。いや、というよりも、この二つの死(正確には生)の間にある差異はなんだろう?
また逆に言って、非主体的に死ぬということは、暴力的ではないのか?


ぼくはアルナの教育が、子どもたちを戦いや死に追いやるものだったと言いたいわけではない。もちろん、もしそうだったとしても、それを非難する資格が自分にあるとも思えないが。
ほんとうのところ、アルナの教育と、子どもたちのその後の行動とはどう関係しているのだろう?アルナが教えたかったことは、戦いや暴力がやむをえないかもしれない人生において、なおかつ誇りをもって生きて死ぬことの価値だったと思う。
それは「リーダーとして」ということと同義ではない。印象的なのは、多くの親友が抵抗の戦いに加わったとき、家族とともに家に留まって戦いに加わらなかったという若者の存在だ。そこに示されている「選択」のあり方が、アルナが伝えようとしたことの可能性の核心を示すものであり、またこの映画における「批評性」の眼目だともいえる。
この映画の優れている点は、その視点を織り込んでいることである。


この「選択」は、もちろん非主体的なものではない。たとえばそれは「徴兵拒否」に重なるような重い選択だからだ*1
だがその重さの内実は、マッチョ的な硬いものではないはずだ。そこが重要である。


もう一度「批評性」ということについて書くと、それは作品が自己自身を問い直している、というような意味なのだ。
たとえば、ユダヤ人であるアルナは、パレスチナ人の男性と結婚して、ジュリアノという息子を産む。そして、パレスチナの人たちのなかに入り込んでいく。そのなかで、彼女やジュリアノとパレスチナの少年たちとは深い結びつきを作る。
それはたしかに美しい、感動的な絆だ。
だがこの映画を見ていると、もしかするとこうした「絆」は、非常に危険なもの、暴力と、他者に対する排除の兆しのようなものではないか、という危惧を抱く。そういうことを感じさせる力が、この映画にはあるのだ。

母と息子

この問いの錯雑は、ユダヤ人女性とパレスチナ人男性の間に生まれた、この監督の自己意識に由来するものかもしれない。
結局、ぼくがたいへん関心を引かれるのは、この母に対する息子の眼差し、そして母の息子に対する意識である。
死をまじかにしたアルナが、ジェニンの友人たちに会いに行く車のなかで、カメラに向って自分の若い頃を回想する場面は印象的だ。彼女は、イスラエルの建国当初、ユダヤ義勇軍の兵士だった。勇壮で美しかった自分の過去を賛美し、「後悔はまったくないし、なにひとつ間違ったこともしていない。遊牧民を追い払ったこと以外は」と言い放つ場面は印象的だ。その言葉を、カメラのこちら側で、息子はどういう思いで聴いたのだろう?
そして最後にひとこと「でも、何かが違っていた」とつぶやいた母の声を。


「(若いときには)おぞましいものさえ美しい」。
アルナが口にするこの言葉は、強い印象を残す。


アルナの教育とジェニンの子どもたちへの愛の根底にあったものは、この強烈な自己肯定に関係しているものである気がする。彼女がなぜパレスチナの男性を愛するようになったのかは語られないのだが、夫や息子に対する感情、その底にある彼女の自己愛が、その他者(パレスチナの子どもたち)への愛と無関係であったとは、どうもかんがえにくい。
むしろ強力な自己への肯定こそが他者への愛を可能にする、そういう逆説をここに見るべきかもしれない。
この母親の生来の性格が、両義的なものとして息子のなかに存在し、それに対する葛藤がこの作品のなかに示されているのではないか?
つまり、息子は母親を肯定しようとしてつまづき、自分自身硬直しそうになる手前で、映画がそれを押しとどめ、問い直しているということではないか。

岡真理さんのお話から考えたこと

さて、岡真理さんのお話だが、見事に整理された内容でパレスチナの事情や、映画に関することを述べられ、かといってまったく破綻がないわけではなく、あるところでは感情がこみ上げてきたのがはっきりとうかがわれ、それでいてきっちり時間どおりに話し終えられるという、申し分のないものだった。
だがとくに印象深かったのは、会場からの「日本に住んでいると、この問題は宗教的対立のようにしか思えず、どうしても理解できないという思いがあるが、どう考えていったらいいんだろう」という問いに対する答えだった。
岡さんは、この問題は決して「宗教的対立」というものではないと述べたあと、ある海外のメディアでイスラエルによる占領の長さが日本の朝鮮に対する植民地支配と並んで表現されたことがあるという事例をあげて、そのことを意識するなら、パレスチナの問題の日本の私たちにとっての受け止め方はまったく違ってこざるをえないはずだ、と語られた。
この言葉には、ちょっと感動してしまった。


たしかに、この問題の本質、というよりも現実性が日本で理解されにくいのは、日本では植民地支配の問題や、アメリカと国際資本による軍事的・経済的な支配といった事柄がタブーのようになっているからではないかと思う。
こうした要素を抜き差ってかんがえるなら、イスラエルパレスチナの問題は「宗教的な対立」というふうな見方しかでてこないだろう。


それは、歴史を「私にとってのこの歴史」という単独性においてとらえられるかどうか、という問題であると思う。
歴史を単独性(柄谷行人)においてとらえるなら、パレスチナ問題は、一般的な「問題」ではありえないだろう。それは、自国の植民地支配の問題と一度も正面から向き合わないまま、この地域における暴力の構造をさらに増幅させようとさえしている私たちにとっては、なおさらそうである。
とりわけ朝鮮半島の問題は、日本人にとって、ニュートラルに「語る」ことが許されるような主題ではない。
その「ニュートラルに語れない」ということが、パレスチナ問題の、置き換え不可能な重さを、はじめてわれわれに開示する。


だがそれは、別に「朝鮮」というテーマに限ったことでも、また「歴史」や「政治」という事柄の次元に限ったことでもないだろう。
人が生きるうえで、他者との関わりにおいて、「ニュートラルに語る」ことが許されない局面というものを、誰でもいくつか持っているはずだ。そこに触れられたとき、人は動揺して感情がたかぶり、また頭のなかが真っ白になり、自分の暴力性さえ制御できない自身の無力の前に立ち尽くすしかない。
そういう自分の、また人間というものの無力さを知った人の心に、パレスチナの「現在」は何かを突きつけてくるのだと思う。
その同じ困惑や動揺を、『アルナの子どもたち』というフィルムはたしかに自身のなかに刻んでおり、その現実性を、ぼくは自分のなかに回収できずにいるのだ。


四条烏丸京都シネマで、上映は今月7日までです。


『P-navi info』さんによる紹介文
http://0000000000.net/p-navi/info/column/200510082005.htm

*1:こう書きましたが、もちろん「徴兵拒否」と同列に扱えないことだとおもいます。ただ、どちらも個人にとって重いリスクを負う(負ってしまう)選択だということが言いたかった。