ガザ地区の状況

http://mainichi.jp/select/world/news/20090101k0000m030034000c.html


年末にはじまったイスラエルによるガザ地区への大規模な攻撃は、すでにパレスチナ人の死者が400人近くにのぼっている上に、イスラエルが地上兵力を投入する構えを見せていて、想像を越える惨状を呈している。
この件については、もともとパレスチナ問題に関心のある人たちは、これがどれほど一方的な虐殺行為か分かるだろうが、多くの人には実態が飲み込みにくいのではないかと思う。


ガザ地区というのは、もともと67年の戦争以来、イスラエルが不当に占領し続けてきた地域である。パレスチナ難民の発生というのは、イスラエルが48年に建国されたときの事情(このときすでに、イスラエルの国軍や右派民兵による先住パレスチナ人への民族浄化的な虐殺が行われたことが分かっている)に由来するのだが、その後もイスラエルは自国の安全を理由として、戦争を繰り返し起こして周辺地域の占領を拡大してきたわけである。
この一連の動きをめぐって、国際社会は、国連の場などではイスラエルを牽制したり自制を求めるような姿勢を一応見せてきたけれども、国際戦略上イスラエルの存在を容認・利用したいアメリカの強い意向もあって、実際に明確な非難や、法的処罰・経済制裁などの効力のある方策を示したことはなく、事実上イスラエルによるこの国際法と正義を無視した行動を容認する態度をとってきたのである。


ガザ地区については、近年民主的な選挙の結果、ハマスによる政権が誕生した。
元来、パレスチナの人たちが選挙でハマスを選んだのは、対立する政治勢力であるファタハの腐敗がひどかったことが大きな原因で、イスラム原理主義組織と呼ばれるハマスの支持者がガザ地区の大勢を占めているということでは、必ずしもないだろう。だが医療や教育に力を入れたことを含め、ファタハよりも民衆に密着した政策をとってきたハマスの方に、より親近感を感じる占領下の人々が多かったことも事実ではないかと推測される。
だがイスラエルはもちろん、国際社会はこの結果を認めず、経済制裁などによって圧力をかけ、ハマス政権とそれを選んだガザ地区の人たちを追い込んできた。再三報道されているように、もともと占領下の圧政に苦しめられてきたガザ地区では、ここ何年か、経済制裁により食料や医薬品も底をつき、その中でもイスラエルによる軍事的・警察的な脅威と圧迫はやむことなく、しかも国際社会(各国の政府や大企業、マスコミなどのことである)がイスラエル側に立ってむしろこれに加担するような態度を示してきたことにより、圧政と暴力と貧窮と無視による多重的な圧迫のもとで、極限的な悲惨のなかに置かれてきたといえる。


この極限的な状況の中で、イスラエル側の言うハマスの「ロケット攻撃」のようなものが何度か行われ、それに対抗すると称して、今回の大虐殺的な軍事行為が発動されているのである。
双方の軍事的な規模・実力、人口や勢力の隔たりを考えても、一方は占領と封鎖を続けている側であり他方は封鎖されている側であるという事実を考えても、また実際の被害・被害者の規模の隔たりを考えても、これが「戦争」や「対立」と言えるようなものではなく、一方的な殺戮行為に他ならないことは明らかだろう。
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200812310102.htm


しかもこの軍事行動が、選挙を目前に控えたオルメルト政権の人気取りの手段であることは、明らかなのだ。


のみならず、上に書いたような歴史的経緯を見てくれば、欧米など各国の首脳が、イスラエル寄りの発言をしたり、よくても「双方に自制を求める」というような犯罪的な言明しかしていないこと、同時に日本を含めた大手マスコミが、「イスラエル人道支援には前向きです」(NHKニュース)などとふざけたコメントを付け加えるばかりなのも、納得がいくであろう。
つまり、主要国の政治家・指導者や、それと結びついてきたマスコミや多くの有力企業は、この歴史的に継続してきたパレスチナ人に対する暴力的不正の、傍観者ではなく、れっきとした共犯者であり、それどころか見方を変えれば、主犯格の知能犯といったところなのである。
やくざの親分が、組の若い衆が自分の命令にしたがって行った人殺しを、口先では咎めるようなポーズをとっても、実際にいさめたり再発の防止を図ったりしないのは、当たり前ではないか。
だからこの件に関しては、この連中の言い分を真に受けてはダメなのだ。


一番言いたいことは、虐殺が正当な政治的行動のように見なされて容認される、
こんな暴力を許していたら、その不正と暴力は、かならずぼくたち自身にも、今よりもっと露骨な形で降りかかるに違いないということだ。
ガザの人たちがいま被っている暴力は、この世界を支配している暴力の、もっとも集約された姿であるとも思える。


最後にひとつ、報道を読んだり聞いたりして、思うことだが、イスラエルの政治家は「一般市民の犠牲者は少ないようにしている」などと言い(実際上、そんな器用なことが出来るはずがないのは自明である)、また報道も「一般市民の犠牲者は何人にのぼった」という風に言う。
だが、「一般市民」と「非市民」とのこんな線引きに、何か意味があるであろうか。
そもそもガザが置かれてきたような状況では、まともな「戦争」など不可能である。
そして、この出口のない不正に対して、暴力的な対応をとらせるようにむしろ仕向けてきたのは、占領者であるイスラエルでなくて、いったい誰なのだ。
たんに、「一般市民」と「戦闘要員」の見分けが付けがたいというだけではなく、もともとそこにイスラエルが言う「自国民の防衛」を理由として殺されることが正当化されるような人間など、一人も居るはずがないと、ぼくは考える。
今行われているのは、戦闘行為ではなく、純然たる虐殺行動であり、またそれに対する国際社会の黙認という、二重の災禍なのである。


詳しい情報は、下のサイトをご覧ください。
http://0000000000.net/p-navi/info/