『マイ・アーキテクト』付け足し

下のエントリーをアップしてから思い出したこと。


周りの反対を押し切ってカーンを愛し、ナサニエルを産んで育てながらカーンを待ち続けた彼の母親について、その友人である女性が、「彼女にとっては、ほんとうに大事な愛だった。それを否定しては駄目だ」と言っていたのが、すごく思い出されてくる。
あの言葉は、この映画の人間にたいする眼差しを集約するものだったかもしれない。
この人は、子どもを引き取って、養子として育てようとしたらしい。


この映画には、カーンやその愛人たちをはじめ、強烈なエゴを持ち、よくも悪しくもそれを貫いて生きた人たちがおおぜい登場する。
でもその周りに、その人たちを認めて、包み込んでいた人たちの存在があったことが描かれている。
それは、「支える」ということともちょっと違う、不思議な存在感である。自分が犠牲になっている、みたいな感じがまったくない。
この映画を撮るナサニエルのまなざしも、この人たちの位置に寄り添おうとしていたような気がする。


ともかく、登場人物一人一人の言葉に、すごい味のある作品だった。
なんでこんな映画が撮れたんだろう?


公式サイトは、こちらです。
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