『ヨコハマ・メリー』

ぼくは映画を見て涙を流すということは、まずない。子どもの頃か、遠い昔にあったような気もするが、思い出さない。だが、この映画では泣いてしまった。あの最後の場面は、いくらなんでも反則だ。
映画が始まってまもなく、シャンソン歌手の永登元次郎が歌い終えた舞台の袖に「メリーさん」がやってきて強く手を握っている場面を見たときに、ちょっと自分でも「おかしいぞ」という感じがしたのだが、最後にああいう展開が待っているとは思わなかった。


映画は、ヨコハマを歌った名曲『伊勢崎町ブルース』で幕を開ける。歌っているのは青江三奈ではなく、渚ゆう子という人なのだが、これが悪くない。


「メリーさん」は、横浜では有名な街娼だった。戦後50年間、老婆になっても白塗りの化粧に貴婦人のような白い衣装で街角に立ち続けていたといわれる。伝説上の人物のようにいわれているのだが、若い頃に田舎から出てきて以来、晩年に至るまで住む場所がなく、荷物を持ってずっと街角で生活し続けた。つまり、いわゆる「ホームレス」の生活だったのだ。
映画は、このメリーさんをよく知る人たち、そして彼女を支えてきた人たちの語りによって構成されている。
皇后陛下」と呼ばれ、気位の高さで周りを寄せつけないところがあったというメリーさん。周りの人、とくに同業者の人たちとは、色んな軋轢があっただろうなあ、と想像できる。
年老いてから濃くなったという白塗りの化粧は、異様な印象を与えるが、登場人物の一人が言っていたように、それは彼女の「仮面」であり、文字通りの「ペルソナ」だったのではないだろうか。「伝説の」という形容詞で語られているが、強い孤独がそこに感じられて、胸が詰まる。


この映画は、作り手たちによる、ヨコハマという町へのオマージュでもあると思った。とくに印象深いのは、ほとんどの登場人物が、横浜の下町の言葉か、その訛りのある標準語を用いていることである。それがあまりにも画面に横溢しているので、ただひとり関西訛りの言葉を使う団鬼六の語りが浮き上がって聞こえてしまうほどである。


この映画の中心は、もちろんメリーさんなのだが、実際には晩年の彼女を支え続けた永登元次郎が、もうひとりの主人公といってよい。この人と、メリーさんとの交流、友情が、このフィルムの最大の眼目だ。
年老いて、ガンのため余命わずかとなったこの人物が、学生の頃の母との思い出を語る場面がある。子どもは母親が、自分(たち)だけのものであると思っているので、男の方を向いた母親を許すことができず、あるとき母に向って「パンパン」という言葉を投げつけた。今になってみると、なぜあんなことを言ってしまったのかと後悔するのだが、何十年かたち、高齢になってメリーさんと出会ったとき、自分がその言葉を投げつけた母と、ほんとうに「パンパン」だったメリーさんとが重なり、「この人を支えたい」と強く思ったのだという。
高齢になってからのメリーさんを援助しつづけたのは、永登さんだった。その永登さんも、死期をまぢかにしている。


ぼくがこのくだりを見ていて感じたのは、こういうことである。人はあるときに、たまたまこの世に生まれてきて、ずーっと生きて、そしてあるときにたまたまこの世から去るわけだ。自分以外の誰かも同じである。そういうところで、人と人はともにそれぞれ生き、関わりをもつ。
そういう、たまたま生まれて死んでいく、小さなもの同士の生の重なり合い、この世の中でほんとうに貴重なもの、大事なものは、そのことのうちにしかないはずだ。
それが、人が生きているということの現実性だろう。
自分の母のことを「パンパン」と呼んでから何十年かたって、メリーさんに出会ったとき、永登さんは、その大事なほんとうのなにかに、この世で出会うことができたのではないかと思う。


映画の最後の場面にはじめて登場するメリーさんの顔は、もはや「ペルソナ」のそれではない。同時に、映画を見ているあいだじゅう、自分のなかに作られ凝り固まってきたメリーさんの像が、そこで溶解し見事に裏返される。救われているのは、メリーさんというより歌っている永登さんのほうであり、それよりもむしろスクリーンを見ている自分なのだ。
ぼくは疑りぶかいので、それでも老人ホームの日常では、周りの老人たちとこの人はきっとうまくやってはいないだろうなと思ったりするのだが、それもどうでもいいことなんだろう。
というのも、そもそもメリーさんは「嘘」によって人を救うことを生業にした人だったのではないか、と思うからだ。自分を支え、他人を傷つけないために、この登場人物たちは、いわば「嘘」に、虚構に生きるという道を選んだ。
その永登さんとメリーさんという二人の人間の間では、ここでたしかに何かほんとうのもの、「嘘」であっても「ほんとう」と言えるものが生まれている。
そういうものに、ぼくたちは生きているなかで、たぶんそう滅多に出会うことがないが、その大切さをこころのどこかで知っているらしい。
その貴重な「嘘」のなかの真実が、ここではフィルムに刻みつけられている。
これは、そういうドキュメンタリー映画なのだ。


公式サイト
http://www.yokohamamary.com/yokohamamary.com/

竹山徹朗さんによる「ヨコハマ・メリー」讃
http://takeyama.jugem.cc/?eid=519


追記:永登元次郎は、「横浜のジャン・ジュネ」と呼ばれてたそうだ。ああ、なるほど。


06年10月8日に追記:kemukemuさんという方による感想。永登さんの歌についての思い出や思いと共に語られている。

http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611/21335470.html