『メゾン・ド・ヒミコ』についてのクリップ①

ちょっと必要があって、『メゾン・ド・ヒミコ』について、他の方が書いた感想を探して読んでいってるのだが、素晴らしいのは、やっぱりこのブログのものだと思った。


『あたしはレズビアンだと思われてもいいのよ』
http://d.hatena.ne.jp/maki-ryu/20050827#p1

観てみたら、老人ホームのメンバーはたしかにあたしが予測した通りだったけど、そんなに単純な話でもなかった。「ヒミコ」は、ゲイの老人ホームの映画じゃなく、「ゲイ男子と女子(性的嗜好問わず)が共生することの困難さ」を描いた映画だと思った。


あたしは常々「ゲイが大好きで、すぐ受け入れてしまう女子たち」に疑問を感じていたのだ。

この映画でゲイたちと出会う女子(柴咲コウ)は、たまたまゲイの父親*6に捨てられた経験があるから、ゲイに対してものすごく悪い感情を持っていて、たいていの女子のようにゲイをすぐに受け入れたりしない。だからおもしろい交流が生まれて、「女だからって好きな服が着られるわけじゃないよ」とか「勝手じゃん」とか「そんなの嘘じゃん」みたいな台詞が出て来るんだと思う。そこが見所だなあと思った。


「女子との共生なんて全く興味持てない」という「性的なこと以外でも一切女子不要な男の世界」に生きるハードゲイの人にも見所はありますよ。


十分に分からないところもあるのだが、一番大事なところを言い当てている気がする。
それから、この感想の文の後半の部分も、胸にぐっとこたえる。こういうことは、ぼくには到底書けない。

いろいろ事情があって、クローゼットのまま熟年になって、もう年だし、新しい恋人も欲しくないし、今更カムアウトなんて必要ないと思ってる人も、このシーンを観たら、親が死んでからカムアウトってのもいいじゃないのと思えますよ。多分。


それと、あの若者たちが遊びに来るところは、ぼくもほんとにいい話だとおもいました。


あの映画についての自分の感想は、ここへももう何度も書いてきたが、あれでも書けずにいることや、書ききれていないことがまだたくさんあるし、それ以前に、自分には見えていないもの、見えても見なかったことにしている事柄が、たくさんあるらしいことが、他の人の感想や意見を聞かされるたびに、次々わかってくる。
今すぐに、それを言葉にはしないが、いまはこの作品を「家族についての映画」という視点からとらえなおしてみることに関心がある。



もうひとつ、今日読んだなかでは、こちらのブログの感想も印象的だった。
『悩み事解決コラム』
http://www.mypress.jp/v2_writers/johndeai/story/?story_id=1364345


「壁」をちゃんと描いていた点が、あの映画のポイントだということには同感。
そして、

沙織は自分も
母も捨てた父を憎しみ記憶の中からも消去している状態であった。

性愛に関しては本当にその人の実存が
現れ、強烈な好き嫌いが分かれる。なんで好きになるのか?
さえ分からずに。好きに理由がないって面白い事だと本当に
不思議に思っています。


いちいちその通り。
沙織と細川(西島秀俊)との関わりというのも、この映画のもうひとつのポイントじゃないかと思う。
短い文章だけど、要点を見事に押さえてる。
この人、できるな。