『ガーダ パレスチナの詩』

このドキュメンタリー映画を見ていちばん強く思ったことは、人間にとって文化や共同体や歴史や故郷や大地といったものが何を意味するのか、「奪われた側」の人間にしか、ほんとうは分からないのだということだ。
(以下、ネタバレです。大阪では、もうすぐ公開が終わってしまう!)


主人公の若い女性ガーダは、イスラエルに占領されているガザ地区に住むパレスチナ人である。彼女は、パレスチナの社会における女性への抑圧に強い抵抗を感じながら生きているのだが、その彼女がもっとも親愛感を寄せているように見えるのは、80歳になる祖母である。この祖母の歌う歌に合わせて、ガーダがハミングするシーンはなんとも素晴らしく、それがこの映画の後半で描かれる事柄へのイントロダクションになっているとも見える。
ガーダは知的で都会的で美しい。ということは、欧米的であるということでもあり、そういうスタイルの彼女のほうを、イスラムの民族衣装に身を包んだ彼女よりも美しいと感じてしまうぼくの視線があるわけだが、それでもとにかく黒髪をさらして自分の意志を主張している彼女の姿は、秀でて魅力的である。
ガーダはやがて結婚するのだが、この頃までの若い時期のガーダの姿をとらえたシーンのいくつかも、ぼくはたいへん好きである。生き生きとした自由さや、艶めかしさや、祖母の人生への共感の力や、表情にたびたび表れるはっきりとした不満や、そういった若い時期の女性に特有の何か、これから歩んでいく女としての人生の芽のようなものが、フィルムに刻み付けられているように思えるからだ。


結婚して、優しく理解力に溢れた夫といとなむ明るい生活。活発に笑いを絶やさないガーダ。これは、イスラエルパレスチナとの和平が期待されていた、この時代のガザの雰囲気が反映されているのであろう。
やがて、出産。難産となり、蒼白な表情で苦しみ、不安におしひしがれそうになるガーダ。それが予兆ででもあったように、このあたりから、パレスチナと、彼女の周辺の人たちの人生は、再び黒い雲に、それもこれまで以上に凶悪で光を閉ざしきってしまう雲に覆われていく。
インティファーダと呼ばれる、パレスチナの人たちの投石による抵抗の長い映像は、初めて見た。このシーンも、この作品の監督である古居さんという女性が撮ったのだろうか?だとすると、すごい勇気だと思う。そうした作り手の、並外れた勇気と決意、それはガーダのそれと重なり合う性質のものだったと思うが、それを痛感させられる場面は、この後も、何度か登場する。「痛感」と書いたのは、それらの映像がぼくにとって、何かをつきつけられるような衝撃をともなっているからだ。
ガーダが映画の作り手を打ち、映画の作り手がスクリーンのこちら側にいるぼくたちを鋭く打ってくる、このフィルムには、そうした一面もある。


インティファーダの場面を見ていて思ったのは、これは誤解を招く恐れのある言い方だが、この行為は、たんなる絶望や怒りに駆られた抵抗というよりも、激しく虐げられたものたちによる、ぎりぎりの集団的な生の祝祭なのではないか、ということだ。
多くの人々が傷つき、とりわけパレスチナの人たち自身が無差別の報復を受けて傷つき命を落としていく現場を、祝祭という言葉によって表現することは、不謹慎で不適切だといわれるかもしれない。しかし、徹底的に貶められ、虐げられた人々にとって、このような自らの命を賭した祝祭としての暴力さえ奪われるとしたら、その代償として残る無力な屈従の生は、果たして生きているということ、生き延びているという言葉に値するだろうか?ぼくは、そう感じざるをえなかった。
これはたぶん、一般には、男たちの論理であり、「死の文化」なのだろう。ガーダが見出した「闘い」のあり方は、それとつながりながらも、それとは質を事にする「生の文化」であることが、後に明らかになる。
だが、このインティファーダもまた、人が人として、しかも集団的な存在として生き続けるための(それは、「死」という生の一部分をも含む)、ぎりぎりの行動であり、暴力であり、表現といえるのではないか。


このインティファーダにおける、イスラエル軍の銃撃によって、ガーダの親戚の少年は命を落とす。
その深い悲しみと怒りから、彼女が選んだ行動は、パレスチナの年老いた女性たちの生きてきた体験を聞き取り、その歌を共に歌い、記録に残すための旅に出ることだった。
1948年に土地を追い出されてからの、過去の人生の労苦と、現在の恐怖や屈辱や悲しみを語る、年老いた女たちの言葉に耳を傾け、その歌声に微笑みと涙を浮かべるガーダの姿。その心と心の共振を描き出したシーンのひとつひとつは、とてつもなく美しく、むごい。


パレスチナの大地に残された美しい自然や、素晴らしい配色の郷土料理がたくさん出てくる、彼女の旅のシーンは、豊かで楽しく、同時にあまりにも悲惨である。
圧倒的な暴力と抑圧にさらされ続ける現実が、その美しい映像の背後に存在していることに、われわれは気づかざるをえないし、やがてその影はどんどん現実のものとなっていくからだ。
年老いたユーモラスな農夫が、妻と共に野原で歌う歌は素晴らしい。聞きほれるばかりの低い歌声による旋律は、おそらく抑圧と収奪を受け続けた民衆だけがもつことのできる、しなやかさと力強さを含んだ音楽だ。朝鮮やアイルランドの農民や、北米大陸に送られた黒人たち、それにかつての東欧におけるユダヤの村人たちがもちえたような。
そして、軽快なステップを踏むダンスの躍動感。
だが、まもなくこの老夫婦は、イスラエル軍によって、大地から引き剥がされる。農地を奪われ、オリーブの木々は、すべて根こそぎにされてしまう。陽気だった農夫は、涙を浮かべてうめく。「私の心は血を流している」と。そして、「自分はみじめな農民だ」と言い、大地から引き離されて生きることの悲しみと苦しみを訴える。そして、土地を奪い破壊した者たちを、「魂を売った者」と彼は呼ぶのだ。
土地を奪われた農民の苦しみは、農民以外には決して分からないのではないか。ぼくは、このシーンを見てそう思った。あの言葉は、ぼくの想像を絶した何かを語っていた。農民と共に、農民を支えて命がけでたたかう人たちにさえ決してわからない、人間と大地との関係の秘密に関わるなにか。


登場する多くの人々は、次々と土地を奪われ、家屋を破壊され、果樹を切り倒され、流浪の人生へと追いやられていく。理由もなく命を奪われてしまうのでなければ。
イスラエル軍による理由さえない攻撃と破壊、そして抑圧が常態化した日々を生きる女性たち、そのもとをめぐり、彼女たち人生の先輩である同性の人々と触れ合うことで、ガーダがつかんだものはなんだったか。
映画の最後で語られる彼女の言葉の一部をひけば、それは「生命の尊厳」を守る戦いを続けている女性たちの姿であり、彼女たちによる文化や生活の、また生命そのものの伝承だった、ということになるだろう。
この映画でもっとも印象的なのは、すでに書いてきたように、パレスチナの人々の歌声であり、そこから感じとられる「歌の力」とも呼ぶべきものだ。「生命の尊厳」のために伝承される文化の力とは、たとえばそのなかにあるものだろう。それは、なにかまろやかな、平板化されることに抗うような力で、歌声やオリーブの木や、美しい料理の色合いや、子どもたちの微笑みのなかに、それは秘められて、この世界の時空を流れている。


ガーダがいう、「パレスチナ人としてのルーツ」や、伝統、大地、要するにアイデンティティのようなものを、その同一性ゆえに批判することは、的を外している。
彼女が見出した「ルーツ」や「伝統」は、奪われる以前には、この世界に存在さえしていなかったものだ。その存在は、奪われた者の目にだけ、突如として見出され、生き始めるのである。
権力や悪い同一性の働きによって、その力の流れがせき止められ、別のものに変わってしまわない限り。


だから、「歌の力」に関係するような、こうした存在が見出されるための条件は、同一性ではなく、じつは「奪われている」ということのなかにあるのではないかと、ぼくは思う。
ガザの荒廃した町並みや、家と農地を破壊されテントで暮らしたりしている人たちを見て思うのは、この世界を、いまやぼくたちは少しだけ身近に感じるということである。あの町並みは、ぼくたちが暮らすこちら側の町以上に、ぼくたちの生命にとって切実な場所なのではないか。
奪われることによってはじめて見出すことが可能になる生の真実の姿を、この映画はぼくたちに教えてくれているのかもしれない。


『p-navi info』さんの感想記事。是非お読みください。

『ガーダ パレスチナの詩』 2つの世界を飛び越えて