『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』

十三の第七芸術劇場で、古居みずえ監督の新作『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』を見てきた。
http://www.iitate-mother.com/


これは、古居監督の前作、『ガーダ パレスチナの詩』もそうだったが、全体を俯瞰して何かが言えるような映画ではなく、流れの中に入ってしまわないと色々なものが見えてこない作品だ、と思った。
一度見え始めると、際限もなく奥行きがひろがっていく。
それはおそらく、登場する「母ちゃんたち」に、古居さん自身の人生を重ねているところから来るのだろう。
そういう目線で撮られたこの映画を見ると、福島の人たちが本当には何を失ったのかということが伝わってくる。
国を相手にした訴えを起こす場面で、主人公の「母ちゃん」が、「全てを失った原因は、原発が動いていたこと以外ではない」と言うのだが、その言葉の通り、この出来事はたんに「原発事故による災害」ではなく、「原発の存在による暴力と被害」であった(ある)ということがよく分かる。
事故や放射能だけが、福島の人々からそれを奪ったわけではない。


上映後のトークショーの中で、古居さんは、『ガーダ』の時には撮影に12年かけているので、今回の映画(まだ撮影中)は、自分にとって決して長くかかっているものではない、と語っていた。
運転ができないので、福島市内に借りたアパートから、二時間に一本しかないバスで仮設住宅まで通って撮影してきたのだという。
その粘り強さと丁寧な距離感のようなものが反映されている、古居監督らしい映画だと思った。