抗議行動&デモin大阪

1月の大阪市による行政代執行の理由とされた世界バラ会議の開催に合わせ、うつぼ公園などで抗議行動や集会、デモがおこなわれるという情報が直前になって入ってきたので、急遽行ってみることにした。以下は、そのとき感じたことなど。

11日、うつぼにて

11日の木曜日は、バラ会議に参加するために各国から集まった人々を案内しての「ナイト・ツアー」というものがうつぼ公園で行われる予定だったらしく、それに抗議行動をぶつけようということで、集まるように呼びかけられていた。ぼくはたまたまあるMLで情報を知ったが、もともと誰がどういう形で告知したのかは不明。
仕事が終わり、夕方現地に行ってみると、強制撤去がおこなわれたときに「団結テント」という抵抗のメインになった大きいテントのあった場所に、野宿の人たちや、支援の人たち、学生など、20人ぐらいが集まっていた。もちろん、顔見知りの人も少なくないので、挨拶したりする。たいていは、行政代執行のとき以来会ってなかったが。
ところで、ぼくはこの公園に来るのもあの日以来だった。すっかり街中の普通の公園、しかし以前とはまったく別の公園になっている。夕方だったのではっきりしないが、大きく変わったことは、テントがなくなったことと、土がなくなったこと。舗装されて石が敷かれたりしてるのだ。それと、あのときにはあった小高い丘や崖みたいなものも消え、全体に平坦な感じの場所になってる気がした。段差のかわりに、舗装されてスロープになってたり。あと、現代彫刻がいっぱいできて、変なオブジェが木の幹や枝にぶら下がってたり、いたるところにあった。
それはともかく、大体その2、30人のメンバーで抗議行動などをするらしい。予想してたより人が少ない。学生とかもあんまり来てない。とりあえず半分以上の人たちは大きな通りに面した正門のところに行って、スピーカーを使った演説と一緒にビラ配りなどをすることになる。ぼくも付いていって、風船やプラカードを持って立っていた。
ぼくらがビラを配ったり、プラカードを持って立ってたりする後ろには、公園の関係者や警備の人、それにたぶん警察の人などが遠巻きに見ているのだが、そっちの方が人数が多かったかも知れん。
じつはこの通りをバラ会議の参加者を乗せた観光バスが通過するので、それにアピールしようということだったらしい。抗議をやるという情報が伝わったからか、「ナイト・ツアー」そのものが中止になったのだ。しかもそのバスも、あっという間に通り過ぎてしまってから、「多分あれだったろう」ということになった。中の人たちはみんなこっちを見てたけど、拍子抜けという感じ。
それに、この通りは人通りもすごく少なくて、ビラもあんまりはけてなかった。

絡む人

このときに感じたこと。
たいがいの通行人は、ビラを素早く受取ってくれるか、ビラ配りや演説を見ないふりをして、あるいは拒絶して足早に通り過ぎて行く。ぼくも、趣旨のよく分からない募金活動などは、いつもそう対処してるので、気持ちはだいたい分かる。胡散臭かったり、後ろめたかったり、不快だったりするのだ。
ところが、この日は二人、「お前らのやってることはおかしい」と言って食い下がってくる人があった。どちらも、すごく執拗に食い下がってくる。とくに一人は、自転車に乗った30代ぐらいの男性で、えらい剣幕でけんか腰に絡んできて、こちら側の人たちともみ合いみたいになってヤバかった。
ぼくは反論する言葉が出てこなくて、顔を見ながらじっと言うことを聞いてたが、趣旨としては「この公園は俺たちの払った税金で運営されてるんだ。お前たちが勝手に占拠していい場所ではない。お前ら税金払ってるのか?」といったこと。それを非常に汚い言葉で、体をこちらにぶつけてきながらまくし立てる。それもたった一人で。たいした熱意と勇気だ。ぼくが逆の立場なら、絶対出来ん。
ともかく、この人のなかに、何かに対する強い憤りや不満があることは分かった。それが、野宿してる人たちや支援してる人たちの怒りと同質のものとは言えないだろうが、ともかく自分自身のひとつの強い感情というか、思いをぶつけに来ているのだ。ただ、どうもぶつける相手が本当はちょっと違うということを、ほんとうは本人もうすうす感じてるようだった。なぜ「違う」といえるかというと、その気持ちを野宿の人たちにいくらぶつけても、この人が感じてる憤りや不満は解消しないだろうからだ。それが分かっているから、余計に荒々しい言葉遣いになる。そんなふうに思った。言葉や視線に「やりきれない」みたいな感じが漂っている。
この人が来て騒いでいる間、この空間の全体が緊張して、温度が上がった感じだった。あれでトラブルになったらいけないが、そういう緊張や衝突が生じるということは、たぶんこういう活動をしてることの、ひとつの意味なんだろう。野宿のおっちゃんたちは悔しかっただろうが、何も反応がないよりはよかったのだと思う。
基本的には、「関心があるから絡んでくる」ものだ。
それにしても、全体に反応が薄い、または冷たくて、想像以上に厳しいなあ、というのがぼくの実感だった。


このあと、ビラ配りは終わって、さらに色んな人が応援にやってきて、夜遅くまで翌日の集会やデモの準備をしたりしたのだが、そこは割愛。ただ、個人的には楽しかったです。

12日、デモ

12日の金曜日は、行政代執行のときにも来ていた東京の山谷とかの人たちも一緒に、朝から集会などをしてたらしいが、ぼくはこの日も昼間は仕事だった。
夕方、集会のおこなわれてる四天王寺までかけつけると、すでに集会は終わっていて、最終の行動であるデモも出発した後だった。四天王寺の坂の多い街路を、シュプレヒコールの波が通り過ぎていく、じゃなくて遠ざかって行く。売店のおばちゃんが、「もうデモ、声聞こえんわ」とかのんびり喋っている。缶コーヒーを片手に、その声を頼りに足早に後を追った。
こんな中途半端な参加の仕方でいいのか?
まさに「フレキシブルな運動力」、「パートタイム・ムーヴァー」。出た、新概念だ。


かなり行ってからやっと追いついた。人数はさすがに50人以上は居ただろう。多くはないけど、旗とか横断幕(ぼくも書くのを手伝ったやつ)をみんな持って、それにおっちゃんやおばちゃんたちの多くは自転車を押してるので、妙ににぎやかである。
ぼくの予想では、デモ隊の周囲を機動隊の盾がとり囲んで、舗道から合流するのは困難、と思ったが、まったくそんなことはなく、後ろからあっさりデモ隊に合流する。遅れてきたのが気まずいので、シュプレヒコールにかこつけて、何人かに手短に挨拶した。

デモをめぐる状況

このときの警備の状況などについて。
このデモのやり方(シュプレヒコールの内容とか)は、若干違和感があったが、まあいいだろう。ただ、野宿の人が苦しんでいる現状の訴えと批判にもっと集中する内容の方がいい、とは思った。
それよりも、警察の方。デモ隊のまわり、とくに車の通るところとの間には制服姿の警官がいるのだが、数はそんなに多くなかった。制服警官は、この時点では多くがデモ隊の後方の警察の大型車両のなかに乗り込んでいたと思う。
それよりも、制服は着てないけど、あきらかに警官だろうと思われる人たちが舗道にうじゃうじゃ居てびっくりした。デジカメをこちらに向けてたり、メモをとってる人も居る。この人たちは、ずっとデモと一緒に動いてて、最後に解散場所の近くの小さな公園で締めをやったんだけど、このときも近くの道路の角ごとに二人ずつぐらいセットになって立ってた。
確証はないが、あれは警察だろう。一般人だったら、もっと怖いよ。
これはたぶん、公安の人が多いんだろうと思うが、ぼくが以前デモによく行ってたイラクでの戦争が始まった頃と比べて、その数が大きく増えたという気がする。
カメラをやたらに向けられるのは、やっぱり気味が悪いし、プレッシャーを感じる。
これは、普段あまりデモに参加しない人は、なかなかデモに来にくい状況だなあ、と思った。


最近、ハテナのブログでも、デモの参加者はなぜ少ないのかみたいなことが話題になったが、
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20060423/p1
http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060428/p2
ぼくが今回あらためて感じたのは、こないだの東京での弾圧事件みたいにデモなどへの規制が露骨に強化され、共謀罪とか法的にも締め付けが厳しくなってきている現状では、正直なところ、「一般市民」がデモに参加しづらいのは仕方がないということ。
その意味は、自分を「一般市民」という枠のなかに入れて考えている人にとっては、参加が難しい、ということだ。
そもそもこの言葉には、「一般市民」でないと見なされる人たちを社会の外に置こうとする排除的な含みがあると思う。なにかによって人間集団のなかに社会の「内と外」という区分を引こうとするのは、それこそ国家や制度や取締りの視点だが、人は「一般市民」というものにアイデンティファイすることによって、それを内面化してしまうことになるのだ。
ちなみに、ぼくはたまに運動のスタイルへの違和感みたいなことを偉そうに書くが、それはぼく個人の主観としてそう感じるということであって、「市民として」ということでは決してない。
現状は、この「一般市民」という枠は、本当は意味をなさなくなっているのだ。
デモの参加者が公然と不当逮捕されたり、公安が参加した人の顔を軒並みカメラに収めて威圧するような社会で、「一般市民」という実体が存在しうるだろうか?もはや「市民」などどこにも存在せず、ただ管理と監視の対象だけがある、というのが現実だと思う。
そのことを認めないと、つまり自分がもはや「一般市民」という安定した社会的自己ではありえないような世の中に変わったのだという事実を直視しないと、なにかの政治的な行動に参加するということは困難だ。そういう時代になってる。


デモの終わりに

デモの人たちは最後に、世界バラ会議に参加する外国の人たちのパーティーが行われているというホテルの前に来て、シュプレヒコールを繰り返し、気勢を上げた。
このときは、舗道に入れという警官たちと、多くのそれを拒む多くの参加者たちとがもみ合いになって、すごく緊張した雰囲気だった。これは当然だろう。野宿に関しては、すでに多くの人が行政に住む場所を追われたり、持ち物を奪われたりしている。いまの世の中のあり方が続く限り、寝る場所も失って窮乏する人、死んでいく人は増え続けるだろう。それに憤ること、怒ること、自分や隣人たちが死んでいくことへの拒絶を表明することは、すべての社会的規範に優先する「命令」のようなものだ。
思想の問題ではなく、人間が人間であるための感情の噴出、表現(表明)というものが行われなければならないのだ。
ぼくもこの頃は、そうとう声を出していた。ただし、物陰から。
こういうことが、日本中で、毎日のように行なわれるべきであると思った。デモという形でなくても。

*

追記
竹山さんのPUBLICITYを読んでたら、大阪城公園の排除のことがメキシコで話題になってたと書いてあった。
http://takeyama.jugem.cc/?eid=521

突拍子もない言い方だが、たぶん異国の友は、「絶望との付き
合い方」のようなものを知ってるんではないか


ラテンアメリカはとくにそうなのかもなあ。