高学歴失業者問題とアメリカの民主主義

おおげさなタイトルだけど、他の人の記事の紹介などです。
いつもこういう「寄生的」なスタイルでしか書けないのは、われながらどうかと思う。


こないだ、『ネオリベ現代生活批判序説』という本を買って、ちょうど今日から読みだしたところなんだけど、はじめのところに大学の非常勤講師の労働条件の話が出てきて、あまりにもひどいので驚いてたら、『femmeletsの日記』さん経由で、こんな記事を見つけた。


http://d.hatena.ne.jp/shiku/20060403/p1(『広州通信』さん)

紹介されているのは、アメリカの大学の、日本で言うと非常勤講師みたいな立場の人たちの労働争議(ストやデモ)の話。
これは、知りませんでした。上記二つのエントリーのどちらでもふれられてるけど、「高学歴失業者の問題」というのは、日本でもこれから本格的に浮上してくるような気がする。


「広州通信」さんの記事には、

日本の院生が生き生きとした人間関係や活発な言論空間(どちらも研究の持続には欠かせないものだ)を、自分のまわりに組織するためには、人並みはずれたアクティヴィティやスキルを必要とするのではないか。


と書かれていて、ぼくは院生の友だちが結構いるので、自分の身には直接関係ないこととはいえ、これは深刻な状況なんだろうな、と思った。
それから非常勤講師の人たちというのは、『ネオリベ現代生活批判序説』によると、全国の大学の40%の授業を担当してるらしい。

だが、その境遇は恵まれたものではない。たとえば大学に正規雇用された多くの教員と同じように週に六回の授業を担当しても、非常勤講師の年収は通常二〇〇万円に満たない。こうした安価な賃金に依存するかたちで、多くの科目を取り揃えているのが大学の実情である。(同書 p12)


こういう人たちの不当解雇みたいな問題も起きてるとのこと。
こういう事情は、全然知らなかった。
それと、「広州通信」さんのこのエントリーは、コメント欄のやりとりがめちゃめちゃ面白い。くわしく言及するのは失礼な気がするのでやめときますが、どういうタイプの人が「運動」に使いにくいかという話になってて、「たしかにそうだろうなあ」と思って笑ってしまった。すごく深刻な話題なんだけど。これで言うと、ぼく自身は、「過剰適応」してしまう方です。


あと、同じエントリーのなかに「国際民主主義基金」のことも紹介されてました。これは先日、いとうせいこうさんも紹介されてた運動ですね。
これもすごくおもしろい試みだと思います。「内政干渉」といっても、アメリカの方はどんどん干渉してるわけだし。


それから、やはりアメリカでの(大規模な)デモに関連する話題で、これは日本でもかなり報道されてると思うんですが、移民法の改正をめぐる議論のことが『梶ピエールのカリフォルニア日記。』さんでとりあげられてました。

http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20060402#p1

http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20060404#p1

ブッシュ政権が進めようとしている短期移民受け入れ政策を批判して、「ドバイへの道は善意で敷きつめられている」と批判する論があることや、メキシコからの大量の移民がネイティブ・アメリカン低所得者層の職を奪うことにつながる面があることなど、いろいろ知ることができました。
社会保障も政治的な権利もない安価な労働力をアメリカの都合でどのぐらい受け入れるか受け入れないかという話で、現実にそういう人たちの存在に依存しないといけない社会に、アメリカはなってしまってるということだと思います。
にもかかわらず、政治的な権利を持たない、ということがなんで前提になるんだろう?
「国際民主主義基金」も、そういうことにつながってるのかなあ。
それから、どうもラテンアメリカというのは、一番急速にネオリベ化がすすんだところらしい。移民が大量に出るような状況を、もともとアメリカが作りだしたんだと思うんだけど。