長居公園に行く前に

というわけで、このあと長居公園に行こうと思ってるんですが、その前に思い出したことを書いておきます。


きのうこの件で橘安純さんのブログに言及したが、野宿生活者で詩を作ったりパフォーマンスもやっておられる橘さんの「箱男」というパフォーマンスを、二年ほど前だったか、上田假奈代さんの「ココルーム」で見たことがある。今思うと、このときは長居公園の野宿者の人たちも、ステージ上でダンスのパフォーマンスをしていたのだが、とくに印象的だったのは、橘さんと一緒に舞台に上がっていた男性のことだ。
この人は、橘さんと同じ野宿生活者だとのことだったが、ごく最近まで、たぶん非常勤だと思うが、大阪市の行政の仕事をしており、橘さんたち野宿者が公園などで寝泊りするのを管理したり取り締まる立場にあったそうだ。それが、急に解雇ということになり、すぐに生活に困って自分自身が野宿生活をすることになった。
明日の行政代執行でも、実際に排除の前線に立たされるのは、非常勤の人とかが多いんじゃないかと思う。西成の職安でも、最近はガードマンのような警備の仕事の募集が主要なもののひとつになってきてると聞いたことがある。
この人たちは、明日は自分が排除される側に回ってもおかしくない人たち、いやすでにある意味では「排除」の対象になっているかもしれない人たちだが、この人たちが行政による排除の先頭に立たされるという構図になっているわけだ。


もうひとつ。
NPONGOなど、行政(大阪市)と協力関係にあったり、交渉していく立場の人たちは、「強制排除」には反対であっても、ここで明確な態度をとることが難しい、ということがあるかと思う。
また、常勤・非常勤を問わず、市役所や関連施設で働いてる人たちにも、同様の困難があるだろう。
そう考えると、いろんなところに分断とか「踏み絵」の構図みたいなものがあるのだと思う。辛い話だ。
ほんとうに自分がしんどくならないためには、どうしたらいいのかを、一人一人がその都度考えていくということしかないんだろうと思う。
そうすることでしか、自分(たち)の幸福を守れない時代になってきてるということだろう。