うつぼ公園・30日

1月30日に行われた大阪市による野宿者のテントの強制撤去ですが、29日の夕方から30日にかけて現場のひとつである靭(うつぼ)公園に居て、状況を見てきました。
どういう事態が起きるのか、自分の目で確かめて、こうした場で報告することが自分のするべきことだと考えて出向いたのですが、いざ行ってみると、自分がどういう立場に立って何をするかについて混乱し、自分でも思わぬ行動をとってしまった。その結果、今になっても、自分の体験をどう言葉にしたらいいのか分かりません。
しかし、あまり時間がたってもいけないので、今思い浮かぶことだけをとりあえず書いておきます。


今回の強制撤去については、テントを守ろうとする人たちと行政側との間で、30日深夜の午前0時までは公園の出入り口を封鎖しないという約束があったらしいのですが、すでに午後8時から10時頃の段階で、出入り口が封鎖されようとするような動きがあって、これに怒った人たちとの間で小競り合いとなり、警察が呼ばれたり、前夜から公園内は騒然としていました。また、この騒ぎのためか、未明の段階ですでに報道各社が公園に入ってきていて、午前8時に行政側が代執行を始めようとしたときには、各社の報道陣が、野宿者や支援者の人たちが人間の輪を作って守っている「団結テント」の周囲を、取り囲んでいるという状態だった。
伝え聞いたところでは、このことは、行政側としては思惑違いだったらしい。つまり、市としては早朝の段階でひとつの入り口をのぞいて公園を完全に塞いでしまって、厳重な報道規制を行ったうえで強硬に代執行を行い、午前中には事を終わらせる思惑だった。ところが、早朝の時点ですでに各社のカメラが入ってしまっていたため、いきなりの強硬手段はとれなくなった。それで、「団結テント」を守る側と、数百人に及ぶ行政側の職員やガードマンの人たちとがにらみ合う、こう着状態が午後にかけて続くということになった。
結果的には、午後になって報道のカメラを警察と一緒になって一部排除したうえで、代執行が強行されました。ぼくが見ていた限り、警察が明瞭に行政側と協力して動いたのは、このときであったと思います。


行政側の包囲がはじまった午前8時頃の動きですが、「団結テント」を囲むような形で市の職員などによる数百人の隊列が作られ、それがテントに向ってぐんぐん狭められてきました。
ぼくは偶然から、この狭められてくる隊列と内側から向き合うような格好になったのですが、押しつぶされそうな力で圧迫されて、とても怖かったです。内側に居る方は押しとどめようとしながら後ろ向きに段差を下りるような形になる場所があったので、これはたいへん危険でした。


テントを守るにあたっても、あくまで非暴力で抵抗するということは、前夜のある段階で徹底されており、この点については支援者の人たちは、非常に周到に対処していたと思います。
このため、住む場所を奪われる野宿の人たちや、日頃そのケアをしている支援の人たちは、言葉でその心情を、隊列を組んで進んでくる行政側の人々にぶつける、という姿になった。これは、ぼくの言葉では言い表せない光景でした。


最終的に、テントを守る側は、大部分が「団結テント」の周囲に結集するという方針がとられたのですが、ぼくは最初に書いたような考えもあり、このなかには入りませんでした。
それで少し離れた場所から状況を見ていて非常に印象的だったのは、大勢居る人がいくつかの集団にはっきり分かれていたということ。
テントを守っている人たちは、もちろんひとつの集団なわけですが、他に市の職員やガードマンの人たちの制服の集団があり、またやはり大勢の警察の人たち、それから機動隊と思われる人たちも少しはなれた園内に一塊になってみていました。そして、これも大勢の報道陣の集団。それから、これはどういう立場の人なのか分からなかったのですが、皮の黒いコートを着て白い手袋をした十数人の若い女性の集団が居て、女性の支援者を押しとどめたり取り囲んだりということをしていたのが、印象的でした。
このモザイク状になっている集団の姿が、ぼくがこれまでに見たことのないような光景でした。


公園内の各所にあった野宿の人たちのテントは、ほとんどの支援者の人たちが「団結テント」に集中している間に、黙々とした作業によって壊されていきました。
ぼくは入ったことが一度もないので知らなかったのですが、テントといっても、木製の棚などの家具が置いてあったり、木製の窓枠みたいなのが取り付けられていて、人間が生活する「家」という感じでした。それが、あっというまに、言葉もなく壊されて消えていった。


最終的に強硬手段がとられて「団結テント」の撤去が行われた2時頃の段階では、ぼくは公園の外に出ていたので、直接には見ていません。
この場で座り込みを行っていた友人などの話では、非常に危険な形で排除が行われたらしい。骨折した人も出たそうです。


断片的ですが、一応以上のように報告しておきます。
ぼくは、このこと全体については、感想を書く資格がないと思う。それは、テントを守る人のなかに加わらなかったからではなくて、別の理由によるのですが、それを詳しくは書けません。
ただ、このブログでは、これまで「当事者と支援者」のふたつのコミュニティーといったことをずっと書いてきたので、それについては、ひとつだけ言っておきたいことがあります。


それは、ぼくが見た限り、多くの支援者の人と、当事者の人との間に、たしかに人間同士の共感が成立していることを、ぼくは自分の目で見ました。その意味で、これはたしかに二つのコミュニティーなんだけど、個人レベルというか、心情の面では一つのコミュニティーと言っていい部分がある。
この共感のあるなしが、テントを守る側の人たちと、それを取り囲んでいた制服の人たちとを隔てている一番のものではないかと思いました。といっても、制服の人たちの内面まではもちろん分かりませんが、ただ制服というものに他人への感情を遮断する働きがあるということなのか、制服を着ている人たちは、そうでない人たちへの共感を禁じられていたのだと思います。
そういう禁止が、二つの集団(テントを守っている人たちと、それを取り囲んでいる制服の人たちという)を隔てていた。だから本当は、二つの集団があったわけではなくて、人間の大きなひとつの固まりと、それを遮断して隔てる見えない大きな線のようなものが、あの場所に存在していたということだと思う。
自分は、そういうものを見たような気がする。


そしてぼく自身は、制服の人たちと同様に、この見えない線の内側に居たのだと思います。
それが、ぼくが今回の出来事に関して、踏み込んだ感想を書く資格がないと感じる理由です。