ホリエモンは使い捨てか?

テレビは「堀江逮捕」のニュースで持ちきりだけど、政治家や財界の人間が他人事みたいな非難ばかりしてるのには、本当にあきれる。
選挙にまで引っ張りだして、あれほどもてはやしたのはどこの誰なんだ。
あんたたちがよってたかってスポイルし、利用したんじゃないか。


経団連会長の奥田は、堀江逮捕に関して、「倫理観や道徳観のないマネーゲームは慎むべき」と言っていたが、倫理観や道徳観のないのはあんたらやろう。
若い人間を都合のいいときだけ利用して、使用済みになれば棄てて知らん顔をする、いや「道義」にかこつけてバッシングをはじめる、財界や今の世の中全体の倫理観、道徳観こそが問題なんだ。
そういう人間に対する態度、使い方が、堀江という一人の青年を浮き上がらせ、追い詰め、潰してしまったのだ。
ホリエモンの扱われ方は、「フリーター」や「ニート」と呼ばれる人たちに対するものと同じだ。


堀江の存在は、若者の成功への希望と、「改革」や「格差の肯定」を結びつける装置として、政治家や財界によって利用されてきたのだと思う。
その頂点が去年の衆議院選で、特にあの頃から、このひとは心身のバランスを崩し始めたように見えた。
いや、バランスは最初から狂っていた、そういう存在として生きることを社会から強いられてきた人だったのかもしれん。
「心情」や「共感」や「生きる歓び」みたいなものを持つことは、この人には許されなかったのではないか。少なくともある時点で、それは奪われていたと思う。
そういう人生を強いた大人たちは、罪と悪を使い捨てた者だけに負わせて、さっさと去ってしまう。
精神的には未熟な、三十過ぎの青年だけが非難の嵐のなかに残されて検察の取調べを受ける。


彼が犯した罪については分からんが、この視点で見るなら、この青年は本当にかわいそうだと思う。