きのうの記事へのTBについて

絡みたくないTBだけど、考えるべきこともありそうに思うので、ちょっと絡んでおく。

http://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20080515/p4

これはしかし、凄まじいまでの馬鹿っぷりである。普通は交通事故の記事を読んで、「夫婦だったら逮捕されたかなあ」なんてことを疑問に感じる人間はいない。これはしかし、凄まじいまでの馬鹿っぷりである。普通は交通事故の記事を読んで、「夫婦だったら逮捕されたかなあ」なんてことを疑問に感じる人間はいない。婚姻関係と交通事故との間に何の関係があるというのか。既婚者は事故を起こしても免責されるなんて聞いたことがない。夫婦だったとしても逮捕されたに決まっているではないか。子供でも分かることだ。


いや、ぼくは思ったわけだから、『疑問に感じる人間はいない』という断定は、間違い。
まあそれはいいとして、ぼくの疑念は、この二人の容疑者の関係性(婚姻関係でなかったとして)が、助手席の人(女性)の側の「異例」の逮捕の理由になったのではないか、ということだった。
『夫婦だったとしても逮捕されたに決まっているではないか』とあるけど、現実にそういう例がないから、「異例」なわけだ。それは単に、今回ほどひどい違反(による死亡事故)がなかったから、前例がないだけかもしれないけど、それは分からない。


それで、逮捕の理由については、ブクマコメントにもあったように、「口移し」の場合には顔を正面から大きく反らせる以外ないから、「おにぎりを食べさせてもらう」等の場合とは違って、過失(加害責任)は重大である。だから「異例の逮捕」になったのだという判断が、ぼくも妥当だとは思う。
ただそれは、「交通事故において検察の判断に、道徳性という要素が関わってくることはないであろう」という推測であって、その根拠は「ないはずだ」という希望的な観測ということしかないんじゃないか。
ひょっとすると、「道徳性」ということが、今回の「異例」の逮捕の背景にあるかもしれない。万が一そうであったら、これはよくないことだと思うから、ここに書いておくことにしたわけ。
「おにぎり」云々の話というのは、誰にでも経験があるだろうそうした状況と、今回のケース(チョコの口移し)との間に、逮捕の有無に結びつくような大きな違いがあるのか、ということを言いたかったから。もし違いがないのなら、「道徳性」が逮捕の一理由になった可能性が出てくる。
ただたしかに、姿勢等を考えてみると、上に書いたようにやっぱり違いがあるとは、言えそうなんだよな。それは認めます。


それから、

この下種野郎が記事において最も関心を持ったのは、「青森市内の会社員の男(47)」と「助手席の20代の女」という部分だけであり、後はもうどうでもいい付け足しなのである。47歳の男の車に二十歳代の女が同乗していたと聞いただけで、ウホッウホッ、なんだこいつら愛人か? 援交か? 車の中で何してたんだ? チョコレートを口移し? それだけじゃないだろゲヘゲヘゲヘ、などと妄想を膨らませたまま書くから、このような白痴エントリになったのである。


この「妄想」ということだけど、関係性が逮捕に関係したんじゃないかという疑念を書いてるわけだから、それは考えなきゃ仕方ないわけです。考えをめぐらすことはぜんぜん悪いことじゃないし、だいたいこの人が書いてるほどには「膨らむ」というような性質のもんでもない。
なんで、この人はこんなに「妄想」にこだわり、その「不道徳性」みたいなものを槍玉にあげたがるのかが、一番興味深い。
本当を言うと、警察や検察が「道徳性」を取り締まりの対象にすることよりも、この記事を書いた人のような一般の人間が、過剰に「不道徳性」を論って叩こうとすることの方が、重大だと思う。というのも、そういう「妄想」って、書いてる(叩いてる)その人自身の「妄想」なわけで、自分のなかの「妄想」を「不道徳性」と決め付けて、自分で自分を攻撃してるようなところがある。
それを叩きたいがために、また「妄想」を高じさせていくというか、なんなんだろうな、こういうのは。


それから、

自分でも「人を死なせてる」ということの重さは、同じだと思うけど。 当たり前である。何を食っていようが犯した罪の重さに変わりはない。文頭に「自分でも」と書いているのも分からない。

とあるけど、「自分でも」なんて、ぼくは書いてませんから。
これは、単純な引用ミスですね。



もう一度繰り返すと、ぼくも『犯した罪の重さに変わりはない。』ということを言ってるわけである。
だからこそ、その罪に対する法的な処置は適正に行われるべきだと思い、今回の報道を見る限りでは、その点に疑いがあったので、そのことを書いた。
検察に対するぼくの疑念が、当たってるかどうかは分からない。「常識はずれ」と思われるなら、それでもよい。しかし、そういう疑いを持つことが必要な場合は、きっとあるはずだ。