遊就館の思想

先日、メルマガPUBLICITYで、靖国神社の敷地内にある「遊就館」のことについて書かれていたので、それについて書きたい。


http://takeyama.jugem.cc/?eid=388#sequel


去年の12月初め、ぼくははじめて靖国神社に行き、そのとき遊就館も訪れた。
明治時代からあり、内田百輭の同名の小説にも描かれているこの施設では、現在、特に近代以後を中心に日本が行った数多くの戦争の概要が説明され、そこで使われた兵器などが数多く展示されている。
(靖国神社にある施設なので)当然ながら、日本という国の発展を支えてきた戦争の歴史を肯定的に振り返り、あわせて、国のために戦って死んだ人たちの遺影や遺品を展示する、という展示方針である。
これだけストレートに近代の日本が経験した戦争の歴史を肯定している空間というのは、ぼくははじめて経験した。


戦争や人の死が、「国のために」というひとつの基準でだけ語られ、記録されていることは、ぼくには異様に思えたし、しかもその基準が現在の日本の国のあり方を肯定することにはっきりつながっている。
つまり、現在の政治が向おうとする方向を正当化するために、死者たちが動員され、戦争の歴史が解釈されている。
そのことは、やはり怖ろしい。


展示品の多さ、規模の大きさは、想像を上回るものだったが、特に印象的だったのは展示の方法で、日露戦争日本海海戦や太平洋戦争時の戦況などが、映像とナレーションによって華々しく説明され、多くの観覧者をひきつけていた。ちょっとしたアトラクションみたいな感じで見ることができるようになっている。これほど現代的な演出がされているとは、意外だった。


この施設を見て回って、ぼくが連想したのは、韓国ソウルの米軍基地の向かい側にある戦争記念館という施設に行ったときのことだ。自国の戦争の歴史そのものを総合的に展示し、礼賛するという態度において、遊就館と戦争記念館は酷似している。
遊就館は、何度も展示の仕方を変えているらしいので、現在の展示のやり方は戦争記念館のそれを参考にしたものではないかと思えて仕方がないが、はっきりしたことは分からない。
主に朝鮮戦争における米軍との協力関係と、その後の反共的な国作りの礼賛に主眼を置いた戦争記念館と、現在の遊就館の展示のあり方とが類似しているように思えたことは、この地域におけるアメリカと米軍の存在の大きさ(そしてその変容、再編)を考えたときに、示唆的であると思う。
はっきりいえば、ぼくには遊就館も戦争記念館も、どこかアメリカ資本によるテーマパークのように思えたのだ。


だが、本当にぼくが書きたいのは別のことだ。


そのとき一緒に行った友人たちには言わなかったが、ぼくはその時、ある展示ブースで涙ぐんだのだった。
それは、日中戦争のとき、前線で戦闘を行ったり、輸送に従事する兵士たちの映像が流されているモニターの在る場所で、バックには軍歌「露営の歌」が流されていた。「六甲おろし」などでも知られる古関裕而が作曲し、「勝ってくるぞと勇ましく」の出だしがあまりに有名なこの軍歌の、二番の歌詞が流れるのを聞いたとき、ぼくの足はその場に立ち止まり、モニターを見つめながら胸が熱くなってしまった。

土も草木も 火と燃える
果てなき広野 踏みわけて
進む日の丸 鉄兜
馬のたてがみ なでながら
明日の命を 誰が知る


日本の疲弊した農村や都市部から集められ、戦線に送られた多くの兵士たちは、中国の戦野で人を殺したり、殺されたりすることを余儀なくされ、「露営」という言葉どおり、厳寒の野原や、ぬかるんだ沼地に軍服のまま時にはテントも寝袋もなく寝て、まるで虫のように死んでいったのだろう。
戦線の兵たちの姿を映し出したモノクロのフィルムと、「露営の歌」の歌詞とメロディに触れたとき、ぼくは自分のなかに沸きあがってくる熱い感情があるのを、認めざるをえなかった。
あの戦争が正しかろうと間違っていようと、この人たち(男たち)はここで戦って死んでいったのであり、そこにある「真実」はいかなる倫理によっても否定されることはない。たとえそれが、「虫」のような生と死であっても。
いや、この兵士たちは「虫」なのだ。虫であるからこそ、この死者たちが担わされている「国のために」という思想は強い。
それは、彼らの生と死を利用しようとする、国家やテーマパーク(資本、外資)の思想より、はるかに強いだろう。


だが、この時代に「虫」のように死んでいったのは、この兵士たちばかりではないはずだ。
東北の農村で死んでいった多くの餓死者の死や、不況下でスラムや地方の飯場に送られて命を落とした貧しい人たち、また東京大空襲沖縄戦で死んだ一般市民たちの死を、靖国遊就館は弔えない。まして、日本の植民地統治下で死んでいった朝鮮の農民たちや、戦時中徴用や連行で日本に来て過酷な労働を強いられ、今も日本中の土のなかに埋められたままになっている朝鮮人たちの死を、弔いはしないのである。
靖国遊就館が行っているのは、結局のところ、無数の無名の死を区分し選別し、利用可能なものだけを現在の国や支配体制の論理にあわせて都合よく価値付け(加工)して用いている、ということだろう。戦場で死んでいった多くの無名の人々の死も、そこでは権力にとって利用可能なものとしてしか扱われない。
この意味で、「遊就館」や靖国の思想は、「虫のように」死んでいった、無数の人たちの魂にふれることはできないと、ぼくは思う。


今日の日本でも(もちろん韓国でもアメリカでもイラクでも)、多くの無名の人たちは、街中の路上や砂漠の戦場で、「虫のように」死に続けている。
状況はその意味では、なにも変わっていない。無名の人々を「虫のように」死なせることで生き延びる大きな仕組みの存在は、変わらず肥大し続けているのだと思う。
そのように死んでいく人たちの生と死が非人間的なのではなく、それらの死を自分たちの都合に合わせて区別し、価値付け、選別する、生きる者たちの行いが非人間的なのだ。
遊就館」や戦争記念館の思想は、そうしたものである。
「戦争の真実」も「平和の真実」も、そうした無名の人たちの生と死のなかにこそあるのであって、公的に「記念」され英雄化されてしまう、死者たちのイメージのなかにあるのではない。
価値付けられ、記念され、賛美されることのない、多くの無名の死者たちの、「虫のような」生と死に、まずわれわれは、向き合うべきなのだ。そのことをとおして、自分たち自身の生と死の真実に直面すること。
そこから照射してくる光だけが、「遊就館」の思想と、この時代の支配の枠組みを打ち壊せるのだと思う。