『アカルイミライ』

アカルイミライ 通常版 [DVD]

アカルイミライ 通常版 [DVD]

いまBIGLOBEのホームページで無料で全編を視聴できるので、この映画を久しぶりに見た。
封切時に劇場で見たときは、いい映画らしくは思ったが、筋がよく把握できなかった(ぼくの場合は、たいていそうである)。しかし今回見直してみると、非常に理解しやすい筋立てだということが分かった。まあ、一度見てるからかも知れないが。


オダギリジョーが演じる主人公は、無気力だが粗暴な面があり、幼児的な不安定さを抱えている。同じクリーニング工場で働きながら(たぶん寮で)同居している浅野忠信は、同じような内面を隠し持っているのだが、表に出さない抑制力を身につけており、いつもキレそうになるオダギリを、指先で「待て」と「行け」の二つのサインを決めたりして制御していこうとしている。
二人の部屋にやってきたクリーニング工場の社長笹野高史を、飼っている毒クラゲにわざと刺されるように仕向けたということで、浅野が首になった日、突然笹野を殺すことを思い立ったオダギリが鉄パイプを持って家に乗り込んでみると、すでに社長夫婦は殺された後だった。
実は、浅野が一足先に来て惨殺していたのだ。浅野はすぐに逮捕される。
ところで、浅野がクラゲを飼っていたのは、海水に棲むクラゲを徐々に真水になれさせて、東京の川でも暮らせるようにする、という目的のためだった。犯行前にオダギリにクラゲを譲り渡していた浅野は、刑務所に面会に来たオダギリに、この飼育の続行を託す。
その浅野には、5年間会っていない父親藤竜也がおり、逮捕されたという知らせを聞いて刑務所に面会に来るのだが、どうしても息子のことが理解できない。この父親は、廃品の電気製品を軽トラで集めて修理して売るという、変わった零細工場をやっているのだが、息子を理解したいが出来ないという葛藤がすごく強いのだ。
そのうち、刑務所のなかで浅野が自殺する。ちょうどその頃から、クラゲに変化が現れてきて、だんだん真水でもすめそうな感じになっていく。このクラゲの映像が、たいへん幻想的である。
オダギリは、この藤の工場に住み込んで働くようになる。実は、死んだときの浅野が指で「行け」のサインを作っていたことを聞かされたのだ。一方父親としては、オダギリを、理解できないまま死んでしまった息子に見立てて関係を再構築したい、という願望がある。
この浅野が自殺する場面と、その幽霊が父親の工場のなかに現れる場面とは、この映画の白眉といえるほど素晴らしい。
ある日、オダギリはクラゲに関することで幼児のような怒りを爆発させて父親(藤)と衝突し、工場を出て行ってしまう。この場面で「なんで夢の中に逃げ込もうとするばかりで現実を見ようとしないんだ。どんなにみじめな現実でも、この現実は私の現実でもあるんだぞ」と叫ぶ藤の台詞は印象的である。
魂が抜けたような状態になるオダギリ。言い過ぎたことを後悔し深く失望する藤。
オダギリは、偶然町で出会った中学生たちと一緒にビルに泥棒に入ることを思い立つ。これと平行して、光を発するクラゲの群れが東京の川に浮かぶ姿を見つけた藤は、快哉を叫ぶ。
泥棒に入ったことが警察に発覚してオダギリは父親の工場に逃げ戻ってくる。ゆるしてくれと言うオダギリに、藤は「私は君たち全てをゆるす」と答えて抱きしめる。
やがて、増殖したクラゲの大群が東京湾へと去っていくのを目にした藤は「私たちは見捨てられたのかな」と失望するが、オダギリは「いつかきっとここに戻ってきますよ」と確信をこめて言う。
父親の工場には再び浅野の幽霊が現れるが、以前はまったくそれに気づかなかった父親が、今はぼんやりとそれを感じとり、「いつまでも、ここに居ていいよ」と呟く。
オダギリと泥棒を一緒に働いた中学生たちが、オダギリの噂話をした後、所在無げに街路をぶらついていく見事なシーンで、映画は終わっている。


オダギリジョーにとっては、これが映画での出世作になったのではないかと思う。その後の活躍ぶりと比べると、全体に浅野忠信に押され気味の印象だが、後半の幼児的に退行していくところから、その後の回復して自信と優しさを獲得した感じになるところへの変化は、すごくよくあらわされていたと思う。
やはりオダギリと共演した『パッチギ!』での怪演が記憶に新しい笹野高史が、ここでも実に味のある芝居をしている。
そして、藤竜也の自信を喪失して戸惑うばかりの中年の父親の姿が、この映画ではもっとも印象に残る。この俳優はこんなに巧かったっけ、という感じである。
また、THE BACK HORNが歌う主題歌『未来』も、実にいい。