故障・シューマン

前回のディープインパクトの記事のコメント欄に「本気で追ったら、故障しそうな」と書いた人があったが、ほんとにそんな感じだ。
すごい馬というのはだいたいそうなんだろうけど、ディープの場合、馬なりで走ってるのに、すでに限界を越えて力がはみ出しているように見える。「ものすごく能力が高い」といっても、肉体の組成に他の馬と絶対的な違いがあるわけではないはずなので、本気で追いはじめて能力が全開になったときに、何かが壊れてしまうのではないか、ということを予感させる。
ぼくが「危険だ」と書いたのは、そういう意味もあったのだと、後になって気がついた。
それはあくまで印象だけの話で、是非無事に菊花賞も走ってもらいたいものである。


風の噂では、シーザリオは怪我をしてるらしいが、秋華賞は出られないのだろうか?
非常に好きなタイプの馬だけに残念だ。ただ、三才の牝馬にはたしかに厳しい使われ方ではあっただろう。


ところで、最近はあまり本を読む気にならないこともあって、家に居るときに音楽を聴いていることが多い。
もともと、ほとんど音楽を聴かないので、かなり珍しいことである。古いジャズなどのCDのほか、シューマンピアノ曲を引っぱり出して聴くことがある。シューマンは、リヒテルが演奏したものを何枚か持ってるのと、高橋悠治が76年に録音したものが(以前は)デンオンから出ていて、実はもともとそれが好きでシューマンを聞くようになったのだ。
このなかに入っている「森の情景」という小さな作品が、チャーミングでとてもよい。


二十歳ぐらいのときは、クラシックというと、もっぱらモーツアルトばかりを聞いていた。一生のなかでモーツアルト以外の音楽を好きになることがありうるのだろうか、ぐらいに思っていた。
モーツアルトには、そういうところがある。あまりにも完璧に作られているので、世界の地平がそこで閉じられてしまうのだ。
まあ、競馬と似てるかもしれない。
それがいつごろからか、シューマンをいいと思うようになり、今はほとんどシューマンしか聞けない。
シューマンの魅力をひと言で言うと、分裂をゆるす、ということだろう。


シューマンは46で死んだらしい。
モーツアルトよりは長生きしたことになる。最後はちょっと気の毒な死に方だったが、あの人はあんなふうかなあ、とも思う。

シューマン:クライスレリアーナ

シューマン:クライスレリアーナ