公明党の政治を再考する

今更という話だが。




今回の選挙で大きく議席を減らし、与党の座からも滑り落ちた公明党だが、連立政権時代に公明党の果たした役割について、考え直せるのではないかと思っている。
たしかに公明党自民党と連立を組んでからというもの、国旗国家法の成立だの教育基本法の改正だの多くの悪い法案が通り、アメリカのイラク侵攻への加担や自衛隊の海外派兵も大っぴらになった。また貧困の拡大も進んだかの感がある。とくに、右傾化ということについては、公明党の連立与党としての責任の大きさを、非難する意見は強いだろう。ぼくもそのように思ってきた。


だが今考えてみると、そうした法案や政策はどれも、公明党が連立を組まなかったとしても、実現し遂行されていたのではないだろうか。
もし公明党自民党と連立しなければ、自民党民主党と連立・連携したであろうからである。要するに保保連立ということだ。
その場合、政治は「自公連立」で実現されたよりも、ずっと右傾化の度合いを濃くしていたのではないか。憲法の改正も、すでに行われていたかもしれない。


もちろん、政治は結果責任と言われるように、連立を組んだことによって実際にどのような政治が行われたかが、公明党を評価する基準となるだろう。「もし公明が連立を組んでいなければ」という仮想によって、その現実の結果の責任が軽減されるというわけにはいくまい。
しかしぼくには、公明が連立参加を選ばなかった場合保保連立が成立した可能性、またその場合、実現された政策が自公連立下におけるものよりもずっと右に傾斜したものになった可能性は、共に否定しがたいものに思えるのである。
そうだとすると、現実に結果としてもたらされたものの是非は別にして(ひどいものであることは認めるが)、自民と連立を組むという選択の背景に、どのような意図があったのか、それを考え直すことに意味があるような気がしているのである。


たしか連立の当初の形は「自自公」ということであったから(もうこの辺の記憶も不鮮明である)、公明はこの時点で既に保保の間に割り込んでいたという見方もできる。ともかく、その後何度も連立を続けるか否か、公明党としても選択する機会があったはずだが、連立への参加を選び続けたわけである。
一方自民党民主党との連立(保保連立)の道を選ばなかったのは、公明党と組んだ方が、利害を差し引きしたときに有利であると判断したからだろう。
つまり、公明党は、そう思わせるような条件を自民党にちらつかせ、自分たちとの連立という判断を、自民党にさせた。そう捉えることが出来る。
それは、この圧倒的に右派・保守派が優勢な日本の政治風土・状況のなかで、出来る限り政権党を中道に近いあたりに引きとめ、右傾化の進行を最小限に抑えるための、ひとつの戦略だったのではないか、と思うのである。
現実に右傾化を少しでも阻止しうる道は、この他にないと判断された結果ではなかったか。


これは、公明党の実像について多くを知る人たち、あるいは右傾化と戦ってきた多くの方たちには、否定される見方かもしれないが、公明党の与党化には、そうした右傾化の進行の阻止という意図が根底にあったのではないか、というのがぼくの考えだ。
それは、公明党や、その支持母体である創価学会の存在の、最終的な目的、目的の核心を、何であると捉えるか、という問題である。
たんに公明党という一党派、学会という一宗派の勢力の拡大を目的の核心と考えがちであるが、そうだろうか?
実際には、公明党の与党化の背景にある動機は、もっと純粋なもので、大目的は日本なり世界なりに漸進的に平和を実現する、というようなことにあったのであり、そのために日本の右傾化を可能な限り阻止するということが具体的な目標として立てられたのではないか。
その方法が、連立与党となって右派の政権党(自民党)をけん制するということだったのではないだろうか。


実際に公明党の連立参加の元でひどい右傾化なり何なりが起きたではないか、というのはその通りである。
だが、連立に参加する以外、「それ以上」の進行を食い止める効果的な方法はないと判断された、ということではなかったか。


この方法、戦略は、要するに、漸進的な平和の実現という大目的のために、政権党への協力という手段によって目先の右傾化・保守化や、軍備の拡大、アメリカの戦争への協力にさえ、ある程度加担するということである。
つまりは大きな目的のためにやむを得ず自分の手を血で汚すというわけだが、血で汚さなければ間違いなく、より多くの血が流れることになるだろうという冷徹な判断が、そこにはあるはずである。
その判断の当否はともかく、これが目前の命(例えばイラク人の)を犠牲にする、冷徹な計算であることに変りはないが。


事実が上のようであるとすると、公明党も、創価学会も、この平和の実現という目的のための手段にすぎないことになる。
手段と見なすなら、その有効性は、いたずらな勢力(数)の拡大(それは、政権党や保守勢力との、不要な確執を招きかねない)よりも、その組織力の強化といったことによってこそ増すことになる。また、議会の勢力図のなかでの位置取りをよく考えることも重要だ。
この二つのことによって、政権党である自民党への影響力を増大できるからである。たんなる自勢力の拡大よりも、組織力の強化とポジショニングによって政権党への影響力を強めることの方が、肝心であるとされた、というわけだ。


宗教的な集団だから、そのような形で社会全体への影響力を増大し、自分たちの理念を実現しようとすることは当然だ、という意見もあるだろう。
そうかもしれない。
ただ、上の見方が当たっているとすると、その理念(平和など)の実現のための方策は、必ずしも自分たちの政党なり教団なりの勢力拡大という方法をとらないという特徴がある、ということである。


そうすると、この集団の最も指導的な立場の人たちにとっては、公明党のみならず創価学会もまた、宗教的な高邁な理念(例えば平和)の実現のための手段にすぎないのであろう、ということになる。
いや、それは多くの党員や会員(信者)の人たち一人一人にとっても、そうなのかもしれない。
高邁な理想の実現のために、現実の人々の集団を手段であると割り切ってしまうということは、とても評判の悪いやり方だ。それはかつての共産主義革命や新自由主義の経済政策のような冷酷さを想起させる。
だが、この理想の高邁さ、平和の実現という理念的な行動を、それ自体として否定することが出来るであろうか?
そこにあるのは超越的な、個々の人間の存在を犠牲にしかねないような危うい考え方ではあるけれども、その根底にある情熱のようなものは、信じられてよいのではないか。
それを否定するほどのもの、より危険性や暴力性の少ない何かを、われわれは持っているだろうか?


このように考えて、公明党の政治姿勢の根底にあるものを、今後よく見極めていく必要があると思うのである。一見今のところ、公明党が連立政権に参加する見通しはないように見えるが、政治の世界は一寸先は闇といわれるので、明日にはどうなっているか分からない。上に描いたような観測が正しければ、この党は影響力行使の新たな機会をうかがっていると見るべきであろう。
そして、そうした公明党のやり方を批判するのなら、それよりも有効な、またそれよりも危険性の少ない、政治の方向性を打ち出し、実現していかなくてはならないだろう。
「平和」の実現という(公明党の)理念の真実性を仮に認めるとして、「でも、そのやり方は駄目だ」と言うのなら、(同様の理念を実現するための)それよりも有効性のある、また冷酷さを伴わないやり方を実際に示す必要があるはずだ。


社民党の連立参加が注目を集めている今、そんなことを考える。