投票日の終わりに

衆議院選挙は、いままだ開票中だが、自民党が記録的な大勝をすることが確実な情勢だ。
ぼくは何度も書いたように、小泉政権にも、小泉改革にも反対なので、残念な結果であるし、これからの社会に対して大きな不安を感じている。
だがまあ、いまそれを言ってもはじまらんので、今日は投票所に行ってみて感じたことを少し書こうと思う。


曇り空の昼前頃に、近所の小学校に行って投票したのだが、前評判どおり、いつになく投票に来た人たちの姿が多く見られた。
これだけ多いのは、久しぶりではないか、という気がした。これはほんとに直感だけど、普段あまり投票所に来ない人たちも、今回は足を運んで投票したんだろうな、と思った。
それで、この雰囲気というのは、以前にはいつ経験したか考えてみると、東京で青島幸男が、大阪で横山ノックが、それぞれ当選した統一地方選のときである。
あのときは、ぼくもたしか生まれて初めて、投票所に足を運んだ。与野党相乗りの官僚出身の候補対タレント出身の候補、という図式で、有権者無視の政党と官僚に対する怒りを、青島やノックに託す、みたいな気分で、結構盛り上がって投票したものだ。実際、多くの無党派層や浮動票と呼ばれる票が動き、これらの候補者が当選した。
ぼくらは、当然の「民衆の義憤」みたいな気分だったが、あのときも、マスコミや評論家のなかには「これではファシズムになってしまう」という危惧の声が聞かれた。たしかに、あのへんから、政治に対する人々の意識が大きく変わったのかもしれない。


まあ、それはともかく、ここで思うことのひとつは、日本の有権者というのは、本当に官僚が嫌いだ、ということだ。
官僚の腐敗をただす、みたいなスローガンは、いまも昔も民衆にやたらと受ける。これはどうしてなのか。
小泉改革がすすんで、日本は本当に官僚の支配しない社会になるのかどうか、ぼくにはよく分からない。


もうひとつ、今回の選挙で、多くの有権者は、「改革」という言葉にひかれて、自民党に投票した。ぼくは、自民党に投票した人が多いことに不満だが、これは事実である。
ただ当たり前のことだが、これはそれだけ、「改革が必要な現状である」と思っている人たちが多いということである。その改革の方法をめぐって言い争っているわけで、「現状のままでいい」と誰も思っているわけではない。
このことの意味は、与党の人にも野党の人にも、しっかり考えてもらいたいものである。


この手の話、後日に続く。