「その河をこえて、五月」

14日の夜、教育テレビの「芸術劇場」の枠で放送された平田オリザとキム・ミョンファ作の演劇『その河をこえて、五月』を見た。
職場の人と電話で話していて偶然教えてもらい、テレビをつけたら始まって20分ぐらいしたところだった。


ソウルの河原で、現地の韓国語学校に通う日本人と在日韓国人、それに韓国人教師とその一家が集まり花見をしている。
登場人物のほとんどは、日本語か韓国語のいずれかしか話せない。そのため、劇の大部分が、二つの言語が別個に舞台の上を飛び交う形で進行する。
テレビでは、韓国語の部分は画面下に日本語訳の字幕がついていたが、劇場の観客は、両国語によほど堪能でないとなかなか内容の把握が難しいだろう。これは、非常に思い切った演出である。言語が壁になってなかなか意味を理解できない、また伝わらないという、根本的なもどかしさ、ごつごつした感じが、よく表現されていたと思う。


内容も、まあそういう印象に通じるような、社会的・文化的な、むずかしかったりややこしかったりする事柄を多く扱っているのだが、クライマックスは、日本の植民地時代に覚えた日本語を流暢に話す、教師の母親が、カナダに移住したいと言う息子(教師の弟)夫婦の言葉に戸惑い、怒り、懊悩する場面である。
タイトルの「その河」というのは、ひとつには、国境や言語や民族といった、この世界のさまざまな区分のことを指しているのだろう。その区分を消し去るということは、やはりある歴史を背負った人間の心にとって、暴力でもありうるということか。
じつに繊細なドラマである。